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常夏通信

その56 戦没者遺骨の戦後史(2) 遺族任せの硫黄島での収容 国の手抜きでは

硫黄島に上陸する米海兵隊=1945年2月16日撮影、米国防総省所蔵

 東京都心からおよそ1250キロの南に、硫黄島(東京都小笠原村)はある。第二次世界大戦末期の1945年2~3月、日米両軍が死闘を展開した。

 米軍は44年夏にサイパンなどマリアナ諸島を占領した。そこから大型爆撃機B29を飛ばし、日本本土を爆撃していた。ただB29は新鋭機であり、故障がままあった。また爆撃機には護衛の戦闘機をつけるのが望ましいが、戦闘機は航続距離が短く、マリアナからB29に同行し、往復することはできなかった。

 硫黄島は、そのマリナア諸島と日本本土の中間地点で、飛行場があった。米軍としては故障や被弾などで飛行できなくなった爆撃機が着陸する場所として、また護衛の戦闘機の基地としても必要な島であった。日本軍としては、何としても守り抜くべき島だった。

 45年2月19日。米軍が上陸した。およそ6万人。迎え撃つ日本軍は2万1000人とされる。米軍には兵士や武器弾薬、食料などの補充がある。それらがほぼない日本軍には、勝算のない戦いであった。だが守備隊を指揮する陸軍の栗林忠道中将の戦術が奏功し、米軍は予想外の苦戦を強いられた。戦闘の詳細は次回以降、生還者の証言などから見ていこう。

 今から10年前の2010年12月14日、私は硫黄島に渡った。硫黄島は私が一年中、「8月ジャーナリズム」をする「常夏記者」となる意志をかため、また「為政者は時にとんでもないミスを犯して、その借金の勘定書きは広く国民に押しつけられ、何十年たっても清算されない」という「常夏史観」を確信する場所となった。

 まず驚いたのは、そこで掘り起こされた遺骨の多さだ。目の前いっぱいに並べられていた。

 「今も1万体分の遺骨が未収容」ということは、渡島前から知っていた。ただ、現場に累々と並ぶ遺骨からは、紙の上で見る「1万体」という概数とは異次元の迫力があった。

 がっしりした太ももの骨。頭蓋骨(ずがいこつ)もあった。治療痕のない歯がしっかりと残っていた。「若い兵隊さんかな」と、思った。誰かの息子であり、あるいは夫であり、父親だったのかもしれない。どんな気持ちで死んでいったのだろう。待っている人たちは、生きて帰ることを強く願っていただろうに……。そんなことを思った。

 前回書いたように、この時の渡島は菅直人首相(当時)の同行取材だった。政治部の記者ではない私は対象外だったのだが、それまでの取材の縁で急に参加できることになった。

 急だったので、当日の詳細なスケジュールを把握していなかった。空港から車で遺体の収容現場に向かい、いきなり目の前いっぱいに広がる遺骨を見た。そのとき、私の思考は停止していたと思う。遺骨の砂を払っ…

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栗原俊雄

1967年生まれ、東京都板橋区出身。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院修士課程修了(日本政治史)。96年入社。2003年から学芸部。担当は論壇、日本近現代史。著書に「戦艦大和 生還者たちの証言から」「シベリア抑留 未完の悲劇」「勲章 知られざる素顔」(いずれも岩波新書)、「特攻 戦争と日本人」(中公新書)、「シベリア抑留 最後の帰還者」(角川新書)、「戦後補償裁判」(NHK新書)、「『昭和天皇実録』と戦争」(山川出版社)など。

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