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社史に人あり

高島屋/17 社会で働く女性の目標に=広岩近広

高島屋の取締役当時の石原一子広報室長=1980年6月撮影

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 東証1部上場企業にあって、初の女性役員は高島屋から誕生した。1979(昭和54)年に、取締役広報室長に就いた石原一子である。2年後に常務取締役に昇進すると、大きな話題になった。社史は<石原の活躍は当時、高島屋だけでなく社会で働く女性の目標であり支えでもあった>と明記している。

 石原は東京商科大学(現一橋大)で就職活動中の52年、大学の先輩にあたる高島屋の営業部長から「男女平等、同一賃金、入社したければ、大いに歓迎」との助言を得た。目の前が急に明るくなり、入社を決めたという。

 石原は婦人服売り場を主軸に、女性の視点をいかした品ぞろえをリードする。結婚して2人の子どもに恵まれると、家庭用品売り場やベビー用品売り場を仕切った。母親としての経験と専門医からのアドバイスにより、安全性・機能性・天然素材を基本にした育児用品を次々に開発した。「赤ちゃんの育児相談コーナー」の創設も、石原の意気込みからだった。

 石原は自身の体験から、家庭と仕事に生きがいとやりがいを見だそう――と女性の援助制度を発案する。85年に「男女雇用機会均等法」が成立するや、率先して新制度を確立した。「女子再雇用制度」と「育児休職制度」に続き、91年には「育児勤務制度」や「妊婦勤務制度」を導入している。

 退職時と同じ雇用条件で再雇用するのが「女子再雇用制度」である。最初に適用されたのが、後に岡山高島屋社長を経て専務取締役営業本部長となる肥塚見春だった。

 肥塚は、親の看病と夫の海外赴任が重なり、やむなく退社する。彼女の離職を惜しみ、再雇用制度の新設に奔走したのが石原だった。肥塚は2年後に復職できた。麓幸子著「なぜ、彼女たちの働き方はこんなに美しいのか」(日経BP社)は、肥塚の談話をこう紹介している。

 <石原さんの薫陶を受けるというより、厳しい指摘をじっと聞くばかりでした。でも、後から考えると腑(ふ)に落ちることが多くて勉強になりました。(略)制度や環境が整っているのは、子育てをしながら働き続けてきた先輩たちの頑張りの証し。(略)育児中でも常に職務能力の向上を心がけることが大事です>

課長以下6人が全員女性の東京店外商第1部は社内報「高島屋時報」(1980年10月)でも紹介された=高島屋史料館提供

 80年代に入ると、女性の力をいかすべくさまざまな制度や組織が生まれ、女性チームによる商品開発や催事の企画が打ち出されている。東京店の外商第1部(法人外商)では、課長以下女性ばかり6人の課が新設され、きめ細かな営業活動で実績を重ねた。

 働く女性の目標になった石原は、自著「売場のヒット商品学」(ビジネス社、78年)で、次のように率直に述べている。

 <いま、振り返ってみると、私はラッキーであったと思う。なによりも、女の立場、女の意見の重要性を認め、売場を与えて、商品をつくり、売ることを私に全面的に任せてくださった、立派な社長に恵まれたことに感謝したいと思う。舞台と機会がなければ、どんな努力も発見できないのだから……>

 社史に人あり――進取精神の社風と男女平等の人事制度が、高島屋から石原一子を生み、さらに新たな偉材を輩出している。

(敬称略。構成と引用は高島屋の社史による。高島屋編は今回で終わり、次回の8月22日から象印マホービン編を掲載予定)

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