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「パンパン」から考える占領下の性暴力と差別 戦後75年、今も変わらぬ社会

トラックから降り、性病検診を受けるため都立吉原病院に収容されるキャッチされた女性たち=1950年8月撮影

 「パンパン」という存在をご存じだろうか。終戦直後、占領軍の兵士と親密だった日本人女性に対する侮蔑的な呼び名として使われてきた言葉だ。パンパンとみなされた女性は、街中で突然身柄を拘束され、性病検診を受けさせられた。これをキャッチ(検挙)という。著書「パンパンとは誰なのか」(インパクト出版会)で、パンパンへの差別の実態を明らかにした京大研究者の茶園敏美さん(ジェンダー論)は「パンパンを受容しない社会は、今も続いています」と話す。どういう意味なのか――。【牧野宏美/統合デジタル取材センター】

 2枚の写真がある。1枚は、嫌がる女性を複数の男性が抱きかかえるようにして無理やりトラックの荷台に乗せている。もう1枚はワンピース姿の女性たちが男性に促されてトラックから降り、病院に次々と入っていく様子をとらえたものだ。いずれも周囲にはやじ馬とみられる男性の姿も映る。これらは毎日新聞が所蔵する、キャッチの写真だ。撮影は1950年。茶園さんによると、当時、キャッチをこれほどはっきりとらえた写真は少なく、大変貴重だという。当時、キャッチは、「パンパン狩り」とも呼ばれていた。

 街頭に立つパンパンはそもそも、どうして誕生したのだろう。茶園さんは「占領兵の慰安施設の閉鎖がきっかけです」と話し、こう説明を続けた。45年8月15日の終戦直後、日本にやってきた占領軍兵士のための慰安施設が日本政府の指示で各地に作られた。例えば兵庫県警史によると、兵庫県では終戦からわずか1週間後の8月22日に県警が施設設営のため前年廃止した保安課を復活させ、職員が「接客婦」集めに乗り出す。兵庫県知事や神戸市長と懇意だった地方紙の記者は後にその理由を「一般の善良な婦女子をオオカミのような占領軍から守るため」と述懐する。

 戦前からの遊郭で働く娼妓(しょうぎ)では足りず、業者を通じてダンサーや女給の求人広告を出して大量に募集。施設は1カ月後の9月26日、神戸市内の6カ所でオープンした。行列ができるほどの大盛況だったが、約3カ月後に連合国軍総司令部(GHQ)から立ち入り禁止命令が出る。GHQが翌年1月発表した公娼制度の廃止を前提とした措置とみられる。これによって兵庫県では1000人を超える「慰安婦」が失業し、次第に街…

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牧野宏美

2001年入社。広島支局、大阪社会部、東京社会部などを経て19年5月から統合デジタル取材センター。広島では平和報道、社会部では経済事件や裁判などを担当した。障害者や貧困の問題にも関心がある。温泉とミニシアター系の映画が好き。

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