特集

広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

特集一覧

水を求める声、声 「あれ以上の地獄ない」広島で被爆、99歳元兵士の嘆き

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
広島市の陸軍船舶部隊に所属していた当時の茂呂祐三さん=茂呂さん提供
広島市の陸軍船舶部隊に所属していた当時の茂呂祐三さん=茂呂さん提供

 広島に原子爆弾が投下されてから75年。被爆者の高齢化が進み、当時の体験を語れる人は年々減少している。茨城県内の被爆者でつくる県原爆被爆者協議会の会員もピーク時の600人から約300人に半減した。次世代への継承が課題となる中、県内の被爆者が体験を語った。【森永亨】

 坂東市に住む茂呂祐三さん(99)は陸軍船舶部隊(現・広島市南区)で下士官教育を受けていた24歳の時に被爆した。現在は足腰が弱くなり、今月1日に水戸市で開かれた慰霊祭は欠席したが、口調は力強い。

 1945年8月6日。午前8時半からの試験に向け、茂呂さんは爆心地から約4キロにある庭に整列していた。5日深夜には空襲警報が発令され、寝不足だったという。約80人が軍装に身を固め、茂呂さんは右手に小銃を持って直立していた。中隊長の「頭右」との号令に従った瞬間、体が7、8メートル吹き飛ばされたという。

 「一瞬のことで、何が何だかさっぱり分からなかった」。爆風で巻き上げられた砂ぼこりで前が見えなくなり、体中が熱く痛み出した。中隊長が「全員待避」と叫ぶ声が聞こえ、防空壕(ごう)に入ったが、次の瞬間に驚いた。

 …

この記事は有料記事です。

残り626文字(全文1109文字)

【広島・長崎原爆】

時系列で見る

関連記事

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る

ニュース特集