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常夏通信

その57 戦没者遺骨の戦後史(3)「よし、硫黄島に行こう!」 映画をきっかけに渡島にトライ

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硫黄島の激戦地・摺鉢山山頂で取材する筆者(栗原俊雄)。眼下の海岸は米軍が上陸した地点=2012年7月15日
硫黄島の激戦地・摺鉢山山頂で取材する筆者(栗原俊雄)。眼下の海岸は米軍が上陸した地点=2012年7月15日

 敗戦の日の今月15日、アメリカ映画「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」(いずれもクリント・イーストウッド監督)が、日本映画専門チャンネルで放送された。2006年に公開された両作品は、硫黄島(東京都小笠原村)における第二次世界大戦の激戦を日米双方の視点から描いた。初めて見た人も多いようだ。私は、それぞれ10回ほど見ている。

 私は06年から今年まで、戦没者遺骨に関する記事を毎日新聞だけでも100件近く、書いている。他の媒体でもたくさん書いているし、講演でもよく話す。なぜなら硫黄島は、我らが日本国の「戦後未補償問題」の象徴だからだ。もし硫黄島に行っていなければ、その報道は半分以下になっていただろう。そしてこの映画があったために、私は硫黄島に行くことができた。

 前回見たように、硫黄島に渡ることは非常に難しい。第二次世界大戦の激戦地で、日本人およそ2万人が戦死している。遺族はたくさんいる。しかし、その遺族でさえ、自由には渡ることができない。

 理由はいくつかある。たとえば島には民間船などが利用できる船着き場がない。水も、75年前の戦争当時と同じく、雨水が頼りだ。大量の人間を受け入れることは難しい。そして最大の理由は、同島が自衛隊の基地であることだ。

 映画のこの硫黄島2部作は06年、公開前から話題を集めていた。私は当時、大阪本社の学芸部に所属していた。その大阪本社発行の新聞で、この映画に関連した企画記事を掲載することになった。私は映画担当ではなかった。戦闘シーンがメインの戦争映画もあまり見たことがなかった。

 しかし、この記事を担当することになった。自分の意思ではなく、当時の上司の判断だった。それまでに戦争関連の記事、たとえば本連載の番外編で紹介した戦艦「大和」の元乗組員たちに聞き取った記事などを連載していたからだろう。

 映画がらみのこの企画記事を一応の形にするのは、さして難しくない。たとえば①硫黄島の戦史に詳しい専門家②映画関係者③硫黄島戦の生還者のいずれか、もしくは複数にインタビューする。さらに映画のあらすじを紹介する。写真を適宜使う。専門用語などに脚注をつける。年表も使う。

 そうしたものをそろえれば、紙面はできあがる。しかし、常夏記者(当時はそう名乗っていなかったが)は、こう考えた。「よし、硫黄島に行こう!」

 硫黄島には自衛隊の飛行場がある。じゃあ、毎日新聞の飛行機を使って行こう。そう思った。

 硫黄島は、大日本帝国の戦史に関心のある人ならば、たぶん誰しもが行ってみたい場所だろう。私はそうだった。だから、しめたとばかりに会社に企画書を出した。今から14年前のこと、「十年一昔」という格言からすれば、もう昔話なので明らかにすると、「どうせ、だめだろうな」と思っていた。

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