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村上春樹をめぐるメモらんだむ

8月15日のラジオで語ったこと 「Black Lives Matter」を訳すと…=完全版

村上春樹さんの短編集「一人称単数」に関する座談会と評論が掲載された文学界2020年9月号

 村上春樹さんがディスクジョッキー(DJ)を務めるラジオ番組の最新第16回「村上RADIOサマースペシャル~マイ・フェイバリットソングズ&リスナーメッセージに答えます~」(TOKYO FMなど全国38局)が、8月15日に放送された。7月上旬に行われた収録に立ち会わせてもらったこともあって、いっそう興味深く聴いた。過去2回は新型コロナウイルスによる外出自粛で村上さんが自宅で収録する「ステイホーム」版だったので、しばらくぶりのスタジオ収録でもあり、冒頭「やっぱりスタジオの雰囲気っていいですよね」と語っていた。

 プログラムは村上さんお気に入りの音楽をかけ、合間にリスナーから寄せられた質問に答えるというもの。取り上げた全ての曲や発言は、これまでと同様、TOKYO FMのホームページに載っているので、興味のある方はそちらをご覧いただきたいが、ここでは収録時に印象深かった2点を紹介したい。

 一つは、「昔から大好きだった曲」で「(かつてジャズ喫茶をやっていたころ)閉店した後によく一人で聴いて」いたというウィリアム・ソルター「It Is So Beautiful To Be(ここにこうして生きているってすてきだね)」を流しながら話した、次の発言だ。

 「ところで話は変わりますけど、『Black Lives Matter』というスローガン、あれいろんな人が翻訳しているんだけど、どれもピンとこない。もし僕が訳すとしたら『黒人だって生きている!』というのが近いように思うんだけど、いかがでしょう」

 これは米国で5月に起こった白人警官による黒人男性暴行死事件を機に、世界各地に広がった黒人差別への抗議デモのスローガンで、確かに日本ではニュアンスの取り方が難しく、「黒人の命は大事だ」「黒人の命を尊重しろ」など、さまざまな訳が提示されてきた。村上さんはアメリカ文学の翻訳家で、米国に長く居住したこともある。そうして得た自らの経験に裏打ちされた訳し方なのだろう。ラジオ番組でのコメントというと軽い感じも受けるが、公的な発言として熟考したうえでの提案だと思われる。

 もう一つは、番組の最後にミュージシャンらの含蓄ある言葉を取り上げる「村上RADIO」恒例のコーナー。「今日は趣向を変えて、ちょっと違う分野の人の言葉を紹介します」と断って読み上げたのは、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーの著書「わが闘争」の中の一節だった。「プロパガンダ(政治宣伝)は常に感情に向けられるべきであり、分別に向けられるべきではない。いかなるプロパガンダも大衆的でなくてはならず、その知的水準は最も頭の悪い者の理解力に合わせなくてはならない」

 言うまでもなく、村上さんはヒトラーの信奉者ではなく、全く反対の立場から批判的、あるいは風刺的に取り上げたのだ。この「すごく率直でわかりやすい意見」が「大いに効果を発揮し」、「世界は大きな戦争に引きずり込まれて」いったと述べたうえで、こう続けた。「これって、なんかどっかの国の大統領のやり方を思い出させますよね」

 名前は出さなかったが、米国のトランプ大統領を指すことは収録翌日の本紙インタビューで語った内容(7月12日朝刊掲載)からも明らかだ。さらに付け加えた次の話も、インタビューでの発言と重なる。

 「現在SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)なんかで盛んに行われている声高な発信にも、これに似たものが少なからず混じっていそうです。分別より感情。相手の知的水準を低く設定する。そういう傾向が最近いささか気になっていたので、今日はアドルフさんに特別出演していただきました」

 そして最後に、「この番組はもちろん、聡明(そうめい)で心優しいリスナーを対象として設定しています。ご安心ください」と、ユーモラスに言い添えた。

 実はこの回の収録時、まだ放送日は確定していなかった。だから初めから意図してのことではないようだが、こういう作家のメッセージが偶然にしろ、戦後75年の8月15日という先の戦争を考えるうえでの特別な日に発せられたのは意味深いと思う。

 話は変わる。文芸誌「文学界」9月号が村上さんの短編集「一人称単数」に関する座談会と評論を載せている。版元の文芸春秋が発行している雑誌だから自己PRには違いないが、計4人の、世代の異なる評者の読みがそれぞれに面白く読める。

 「最速誌上読書会」と銘打ったオンライン座談会の出席者は、翻訳家の鴻巣友季子さん(1963年生まれ)と、いずれも作家の上田岳弘さん(79年生まれ)、小川哲さん(86年生まれ)。ただし、出版前の開催のため、書き下ろしの表題作1編については論じていない。この点、スラブ文学者の沼野充義さん(54年生まれ)による評論は刊行後に書かれたと見られ、表題作にも触れている。

 上田さんが指摘しているように、収録された短編はいずれも…

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大井浩一

1987年入社。東京学芸部編集委員。1996年から東京と大阪の学芸部で主に文芸・論壇を担当。村上春樹さんの取材は97年から続けている。著書に「批評の熱度 体験的吉本隆明論」(勁草書房)、共編書に「2100年へのパラダイム・シフト」(作品社)などがある。

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