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記者・清六の戦争

太平洋戦争末期、フィリピンの洞窟でガリ版刷りの新聞が発行されていました。取材を担った伊藤清六を親族の記者が追います。

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記者・清六の戦争

/11 空襲でも出社せよ 命惜しむこと許されなかった従軍記者の小さな抵抗

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伊藤清六がマニラから郷里の長兄清一に宛てた手紙=2020年8月14日午後3時42分、長谷川直亮撮影
伊藤清六がマニラから郷里の長兄清一に宛てた手紙=2020年8月14日午後3時42分、長谷川直亮撮影

 17歳で郷里の岩手を離れてから約20年間、伊藤清六は父親代わりだった長兄清一に頻繁に手紙を送っている。生家には60通近い手紙が残る。マニラが緊迫した1944(昭和19)年後半は日増しに悲壮感が色濃くなり、疎開した妻子を案じつつ、混乱の中で必死に冷静さを保とうとする意思がにじむ。

 6月某日。「子供のことではいろいろ厄介をかけますが、どうぞ監督と奨励を頼みます。九州やマーシャルの戦争のことはむしろ内地よりも身近に知っています」。九州の戦争とは6月16日の八幡空襲のことだろう。米軍B29爆撃機による初の本土空襲で、日本国内にも戦火が迫っていた。

 これ以降、手紙はさらに頻繁になっていく。

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