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東京2020

還暦間近の異色の柔道家 17年ぶり出場に挑戦 東京パラリンピックまで1年

パラリンピック出場を目指し、練習に励む松本義和(右)=2019年10月8日

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 視覚障害者柔道界に、実に17年ぶりのパラリンピック出場を目指す選手がいる。男子100キロ級の松本義和(58)=アイワ松本治療院=だ。2000年シドニー大会で銅メダルを獲得し、04年アテネ大会では開会式で旗手も務めたが、直近3大会はいずれも代表落ちを経験した。20、30代が中心の日本代表において、還暦間近の柔道家は異色の存在だ。その挑戦を支える原動力とは。

アテネ・パラリンピックの開会式で旗手を務めた松本義和(中央)。当時42歳だった=ギリシャ・アテネの五輪スタジアムで2004年9月17日、武市公孝撮影

 大阪市住吉区でしんきゅうマッサージ院を営む傍ら、稽古(けいこ)に励んでいる。新型コロナウイルスの影響で今年4、5月は通っていた道場が閉鎖。それでも、互いの襟と袖をつかんで組み合った状態から始まる視覚障害者柔道にとって重要な腕力を強化するために、自宅や近所の公園でウエートトレーニングに打ち込んだ。「体がごつくなって、今は4LのTシャツがきついですわ」と、大阪弁で手応えを話す。

 軟式テニス部だった高校時代に緑内障と診断され、20歳で全盲になった。高校卒業後、資格取得のために通っていた大阪府立盲学校(現大阪府立大阪南視覚支援学校)で、「ガリガリだった体を鍛えたい」と柔道部に入部。その後、柔道が正式競技になった1988年ソウル大会で盲学校時代の先輩が銀メダルを獲得したことに触発され、パラリンピックを意識するようになった。2度の落選を経て、00年シドニー大会に38歳で初出場した。

公園で長男の瑛太さんとトレーニングをする松本義和(右)=大阪市で2020年3月(本人提供)

 「シドニー大会は視力を失った『リハビリ』の最終ゴールと捉えていた。だから、これで引退するつもりだった」。しかし、選手村で大会期間を過ごすうちに考えが変わったという。「他競技の選手や視覚以外の障害を持つ選手と触れ合い、めちゃめちゃ楽しかった。どの選手も自らの障害を受け入れ、明るく元気。大きなエネルギーをもらった」。普段の生活では、障害を負ったことで後ろ向きになる人を多く知っていただけに、パラアスリートの前向きさが新鮮だった。「こんな楽しい思いは、1回だけではもったいない」とすっかり祭典の「魔力」に取りつかれ、現役を続けた。

 08年北京以降の3大会は国内の代表争いに敗れ、大舞台には届かなかった。「もう一度、パラリンピックの雰囲気を味わいたい」と思うとともに、もう一つの原動力になっているのは家族の存在だ。アテネ大会から帰国して約10日後に生まれた長女涼さん(15)と長男瑛太さん(13)は、パラリンピックの舞台に立った父をまだ見たことがない。「息子からは『東京大会に出られなかったら、一生のうそつきもんや』とプレッシャーをかけられている」と笑う。延期された東京大会まで1年を切った。「今が一番強い」。その力強い言葉に、衰えはみじんも感じない。【真下信幸】

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