特集

公文書・歴史の記録

毎日新聞デジタルの「公文書・歴史の記録」ページです。最新のニュース、記事をまとめています。

特集一覧

記者・清六の戦争

/12 明日の命も知れぬ日々 最前線の兵士たちは奪い合うように読んだ

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
「神州毎日」が作られていた日米の激戦地・イポダム。山の中腹に日本軍の壕があったという=フィリピンで2020年3月11日、伊藤絵理子撮影
「神州毎日」が作られていた日米の激戦地・イポダム。山の中腹に日本軍の壕があったという=フィリピンで2020年3月11日、伊藤絵理子撮影

 マニラ新聞社を脱出した伊藤清六らは新たな拠点を求め、ルソン中南部を守る軍司令部へ向かった。米軍の進撃は予想以上に早く、確保した拠点を使えず軍に頼るしかなかったようだ。だが、食糧不足を理由に受け入れを拒まれた。

 マニラ北東約50キロのイポダムにたどり着いたのは1945(昭和20)年2月上旬。ルソン島は航空機も戦車も尽き、米軍の日本本土への上陸を遅らせるための持久戦に突入していた。天然の要塞(ようさい)だったイポダムでは、河嶋修兵団長率いる「河嶋兵団」の約1万人が多数の壕(ごう)を掘り、陣地を築いていた。

 南條真一編集局長と清六が新聞発行を提案すると、河嶋兵団長は即座に了承した。寄せ集めで編成された兵団の士気を鼓舞するため、陣中新聞は役立つと考えたのだろう。

 陣中新聞の名は兵団陣地の呼称「神州要塞」にちなみ「神州毎日」と決まった。わら半紙のガリ版刷りで部数350。2月中旬から3カ月以上にわたり100号近く発刊されたという。取材は主に清六が担った。同様に拠点を失った読売新聞記者らも合流し、メンバーは11人に。兵団内で彼らは「南條…

この記事は有料記事です。

残り1512文字(全文1981文字)

あわせて読みたい

注目の特集