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常夏通信

その58 戦没者遺骨の戦後史(4) 交渉の末、初めて硫黄島へ 地下壕で感じた恐怖感

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第二次世界大戦の激戦地、硫黄島に上陸した米海兵隊。摺鉢山(左)などから日本軍の激しい迎撃を受け苦戦した=1945年2月16日、米国防総省所蔵
第二次世界大戦の激戦地、硫黄島に上陸した米海兵隊。摺鉢山(左)などから日本軍の激しい迎撃を受け苦戦した=1945年2月16日、米国防総省所蔵

 前回(その57)、見たように、私は2006年、硫黄島(東京都小笠原村)に渡島すべく防衛庁(当時)と交渉した。クリント・イーストウッド監督が硫黄島の激戦を描いた映画「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」が話題を集めていて、それに関連した特集紙面を作るためだ。

 防衛庁の担当者は当初、対応は丁寧ながら渡島は許可しないふうだった。一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道を行う常夏記者こと私は、簡単にはあきらめられない。考えられるあらゆる手を尽くした。その結果、意外な事実を知った。

 特集紙面は06年12月8日付朝刊(大阪本社発行)と決まっていた。締め切りをぎりぎり延ばしてもらっても、前日の7日朝には原稿を出さなければならない。そこから逆算して、恐らくは最後の交渉となる日、その意外な事実を防衛庁の担当者にぶつけた。

 「クリント・イーストウッド監督は、硫黄島でロケをしたんですね」

遺族も墓参すらできない硫黄島 映画ロケはなぜOKなのか

 硫黄島は、いわば全島が自衛隊の基地だ。厚木基地(神奈川県綾瀬市、大和市)に民間機が自由に降りることができないように、硫黄島にも自由には渡れない。だから、たとえ硫黄島で亡くなった兵士の遺族であっても、渡島はままならない。墓参さえ、自由には行けないのだ。

 島は今も雨水が頼り。大きな船着き場もない。宿泊施設も限られている。それに、今も不発弾が埋まっていて、危険でもある。民間人が自由に渡れないのも、仕方がないかな、とも常夏記者は思う。

 しかし、アメリカ人の映画監督がロケをした、というと常夏記者の頭には別の考えがムクムクと湧き起こった。「遺族でさえ、墓参すら自由にできないのに。なんでアメリカ人の映画監督はロケをできるんだろう。どうして遺族は受け入れないんだろう……」

 そういう疑問をぶつけたところ、防衛庁の許可が下りて、渡島できることになった。この問答が、多少の影響はあったと思う。ただ、常夏記者は他にもカードを切っていた。詳細を今は明らかにすることができないが、それらの効果が相まって、渡島につながったと思う。

 大急ぎで付け加えておくと、戦史・戦後補償史を取材する記者としては、硫黄島の映画2部作は大変意義のある作品だと思う。新聞や歴史学者の本などを読まない人たちも、映画で戦争について知り、関心を高めただろう。当事者がどんどんいなくなる中、戦争の実態、悲惨さの体験と記憶を継承していくためには、あらゆるメディアがスクラムを組むべきだと思う。

13年後に国会で質問

 さて、イーストウッド監督ロケの一件は、実にロケから13年後の19年3月20日、国会で詳細が明らかになった。参議院の厚生労働委員会で、立憲民主党の川田龍平議員が質問した。川田議員は、戦没者遺骨の身元を特定するためのDNA鑑定について、体制の整備と強化を国に繰り返し求めている。その一環の質問であった。

 川田議員 硫黄島について、防衛省が許可をしないと上陸できないことになっていますが、2005年にクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」の撮影隊に上陸許可を出しています。遺族や遺骨収集や火山研究家以外の民間人に許可を出さない原則であるにもかかわらず、なぜアメリカの撮影隊には許可を出したのでしょうか。

 政府参考人(平井啓友・防衛省施設監) お答えします。一般論としては、自衛隊施設の国…

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