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8月
乗り合わせているのはみんな
生きのびてふたたび通い慣れた者たちだ
私を運び、私を停止させ、私を殺す
大きなもの、あらがいがたいもの
猛暑が続く。コロナウイルスの心配からマスクをするしかないが、炎天下では本当に苦しい。七年ぶりの第七詩集。細見和之さんの「ほとぼりが冷めるまで」(澪標)の冒頭の小気味よい数編に涼しさを感じた。「パパって小柄やったんやね/別に咎(とが)めるでもなく娘がそう言う」「ただ父として娘の前に立っていた/いままではこんな私がそれ相応に大きく見えていたのだ」「娘のひとことに眩暈(めまい)のする午後」。親なら経験する一コマである。
家族の歴史の中にあった様々な事実を丹念に歌い上げる。そこにユーモアも寂しさもある。様々なめまいの瞬間を込めるのを忘れない。「家族の夕暮れは不意に訪れるものなのだ/星はちりぢりに散らばって/どんな形だったかもう誰にも分からない」。形とは星座のことを指すのだと前半で分かる。ここには歳月を経た家族の風景が描かれている。
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