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記者・清六の戦争

太平洋戦争末期、フィリピンの洞窟でガリ版刷りの新聞が発行されていました。取材を担った伊藤清六を親族の記者が追います。

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記者・清六の戦争

/13 食料探し力尽きた 戦闘ではなく飢え死にだった現地の惨状

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伊藤清六が亡くなったとみられるヤシ林。案内してくれた地元の女性(左)は「戦争は遠い世界の話」と言った=フィリピンで2020年3月11日午後3時12分、伊藤絵理子撮影
伊藤清六が亡くなったとみられるヤシ林。案内してくれた地元の女性(左)は「戦争は遠い世界の話」と言った=フィリピンで2020年3月11日午後3時12分、伊藤絵理子撮影

 1945(昭和20)年5月、伊藤清六ら神州毎日の15人は陥落目前のイポを脱し、兵団の備蓄拠点「十三の谷」を目指した。1週間かけてたどり着くと、育っているはずのトウモロコシも備蓄もなく、悪性のマラリアがはびこっていた。

 その後は近くの村落アクレを目指した。草木の根や葉で飢えをしのぎ、終日腰まで川につかって歩く日もあり、落後した者もいた。兵士たちも食糧を求め、同胞の遺体が転がる山中をさまよっていた。

 6月10日ごろ、清六ら9人がアクレに到着、合流した部隊はヤシ林に拠点を移したが、みな争ってヤシの実を食べ尽くし、食糧を探す体力のない者から倒れていった。

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