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創り出された「聖蹟」 歴史的根拠ない「史跡」 なぜ生まれたのかを探る
東大阪市で喫茶店を営む在日コリアンの丁章(チョンジャン)さんは、子どもを公立中学校に通わせている。この5年間、教科書運動に関わってきた。「教育再生首長会議」会長でもある野田義和市長の意向が教科書採択に反映しているのではとの疑念が消えないからだ。採択権限は教育委員会にあるが、丁さんらは政治的介入を阻止しようと市や市教委に情報開示を求めたり、申し入れをしたりして監視の目を光らせる。
保守的な政治家が推奨する歴史教科書は、神武天皇が大和の国を治めたという神話を紹介し、愛国教育の再生を試みる。だが、神武陵は日本書紀の編さん時と、江戸~明治期に奈良県橿原市に「聖蹟(せいせき)」として創り出されたものだ。100年前、拡張整備の国策の裏で集団移転を強いられた多くの住民は、畝傍山の裾野に暮らす被差別部落の人々だった。その洞村(ほらむら)の跡地にカメラが入る。
一方、蝦夷(えみし)の指導者アテルイが朝廷軍の坂上田村麻呂と戦って処刑された史実を巡り、大阪府枚方市が揺れている。教科書にも掲載され、処刑地と伝わる「塚」が、歴史学者から「偽史」と指摘されたのだ。歴史的根拠のない「史跡」はなぜ生まれたのか。戦後75年目の教科書に叙述されている「史実と神話」。その結び目にこの国の歴史と教育のいまを探る。(ディレクター 斉加尚代)
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