ピアノとの出合いは終戦の翌年、疎開先の長野から東京都大田区に戻ってきた小学校1年の時だったね。担任の先生の専門が音楽で、週1回教えてもらうことになった。最初は楽しくて進歩も速かったけれど、3年の頃から鉱石ラジオ作りにのめり込んで、だんだん足が遠のいちゃった。
でも中学2年の時、「東京芸大に付属高校ができる」という新聞記事をみて「受けてみよう。ピアノをやり直そう」と思い立った。運良く芸大を卒業した若い女の先生が赴任してきて相談してみると、「入試まで1年半しかない。ピアノ科は無理だから作曲科がいい」と親身にアドバイスしてくれた。一番実力が伸びる少年期に一番遊んでいたから上達するのは大変だったけれど、先生が熱心で、芸大教授のレッスンに連れて行ってくれたりした。メロディーを聞いて譜面に書き取る聴音が得意だったからか合格できてうれしかったなあ。15人ほど受けて受かったのは3人だった。
2期生だったわけだけど、入ってみて先生の指導が昔風で厳しいのなんの。正直参った。そんな中、2年の時、ジャズを知ることになったんだ。同級生で後にジャズ奏者として大成する菊地雅章(まさぶみ)君が学校に持ってきたジョージ・シアリングやエロール・ガーナーのLPを聞いてしびれまくった。「自由で楽しい。やってみたい」。それが第一印象。学校近くのお茶の水の楽器店で譜面をあさり、菊地君と一緒に空き教室でジャズの…
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