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昨年の永井荷風の生誕140年、没後60年を記念して刊行された『美しい日本語 荷風』(慶応義塾大出版会)の第三巻となる「心の自由をまもる言葉」がこのほど出版され、シリーズが完結した。小説や詩は近代文学者の持田叙子、俳句は気鋭の俳人・高柳克弘がそれぞれ綿密に荷風の言葉を解析している。それにしても「心の自由をまもる言葉」とはいかにも荷風にぴったり。「一切のそんたくをしない」というのが今回の帯文の言葉である。
ここでは高柳の俳句批評についてだけ述べるにとどめる。明治の欧化政策に対し荷風の批評精神は強かったが、荷風にとって俳句は「権力と戦う武器ではなかった」と断言する。中には<戦ひに国おとろへて牡丹かな>という句もあるが、当時詠まれた加藤楸邨や石田波郷の句に比べると、国の敗北を詠みながら季語である「牡丹」は、国のありようとかかわらず、荷風の生きざまを現わすように、ただ美的なものとしてだけ存在している。
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