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「死んだら敵も味方もない」 今、問い直す役割
太平洋戦争末期の1945年4月、日本軍に撃墜された米軍爆撃機B29の搭乗員11人の遺体を埋葬し、十字架を立てて供養した村があった。鹿児島県の百引(もびき)村(現在の鹿屋市輝北町百引地区)。憎悪と恐怖の対象でしかなかった敵国の兵士を手厚く葬った。「平和を考える史実として語り継ごう」と目撃者の証言集が2001年に発刊された。戦後75年がたち戦争体験の風化が進む中、関係者は証言集の役割を問い直している。【新開良一】
証言集によると、青空が広がった4月29日朝、宮崎県都城市方面を空爆して帰還中のB29編隊の1機が百引村上空で日本軍の戦闘機「雷電」の攻撃で墜落した。現場には大勢の住民が集まり、竹やりや日本刀を持つ人もいた。
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