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東京へ ともに歩む

毎日新聞

国内外で高評価を得た1964年東京大会の公式ポスター。左から2作品目、1作品目、3作品目

オリパラこぼれ話

世界に誇るデザイナー 公式ポスターで大作

 日の丸をほうふつさせる真っ赤な円が大きく描かれ、その下に金色のオリンピックマークと「TOKYO 1964」の文字が一体となって強いインパクトを与えた――。「大会の顔」としての役目も担っている五輪ポスター。1964年東京大会のために作られたポスターは61年から開幕の64年まで毎年1作品ずつの計4作品が発行され、すべて同じグラフィックデザイナーが手がけた。亀倉雄策氏である。

     五輪公式ポスターは12年ストックホルム大会から作られるようになった。東京大会のポスター制作エピソードは興味深い。「TOKYOオリンピック物語」(小学館発行、野地秩嘉著)などによると、組織委員会は59年に東京大会開催が決定したのを受け、国内のデザイナーらに協力を依頼して翌年に「デザイン懇談会」を発足。エンブレムコンペに6人が指名され、そのうちの一人がグラフィックデザイナーとして活躍中の亀倉氏だった。

     亀倉氏は実は、コンペ作品の提出期限日を忘れていて、当日、事務局から催促の電話がかかってきてからごくわずかな時間で作品を仕上げた。だが、エンブレムの案はすでに頭の中である程度できあがっていたため、短時間でできたという。同じくコンペに参加していたグラフィックデザイナーの永井一正氏は、亀倉氏の作品について「日の丸、五輪、文字と、どれひとつとして目新しい要素はないのに、新鮮だった」。約20作品の中から満場一致で亀倉氏のデザインが選ばれた。同じ年のローマ大会にあわせて現地で東京大会のポスターを披露しなければならないこともあって、エンブレムのデザインをポスターにも使用した。

     2作品目は過去の大会ポスターで例がなかった「写真」が使われた。亀倉氏が信頼するカメラマンとディレクターに陸上のスタートダッシュの撮影を依頼。「暗い時に長い望遠レンズを使い、選手が折り重なるように撮ってくれ」と指示を出した。62年3月の寒い夜に国立競技場で、米軍立川基地所属の元陸上選手と日本の現役ランナー3人ずつ計6人がモデルになった。暗闇に選手の姿だけを写すにはたくさんの光量が必要なため、東京中から20台ものストロボをかき集め、撮影は30回ほど繰り返された。ランナー全員の表情を入れるために、選手によっては低い姿勢を保たせたり、スタートラインの前方から走らせたりするなどの注文を付けた。亀倉氏自身は「現場の苦労がわかってしまうと、できあがった写真を冷酷な目でチェックすることができない」と、現場には立ち会わなかった。しかし、60枚もの写真の中からあっという間に1枚を選んだ。ダッシュした6人が三角形の形で前にせり出していた。

     これまでの2作品との連作を考えて作製したのが3作品目で、バタフライで泳ぐ選手が左右に広げた腕とコースラインで「十字」を浮き出たせた。中央に「円」のエンブレムデザイン、左側に「三角形」で飛び出す陸上選手のスタート、右側には3作品目を配置して一緒に張れば連続性を持たせられると考えた。東京体育館屋内水泳場で撮った56年メルボルン大会金メダリストの米国選手の試作ポスターを提出したが、組織委員会から「日本で開催する大会なのだから、選手は日本人にしてほしい」と言われ、63年1月に再撮影する羽目に。最終的に早稲田大の選手がモデルとなったという。亀倉氏の生涯を紹介する「朱の記録 亀倉雄策伝」(日経BP社発行、馬場マコト著)に、この時の様子が触れられている。

    1964年東京大会公式ポスターの4作品目の説明をする亀倉雄策氏=同年4月撮影

     最後の4作品目は東京大会が開幕する半年前の64年4月に発表した。順天堂大陸上競技部の選手が夕焼けを背景に荒川の土手で聖火ランナーとなった写真を使い、会期も入れた。亀倉氏は「厳粛で落ち着いた感じを出すことをねらった」と取材に答えた。

     ポスターは4作品で計31万部を作製。B全サイズ(1030ミリ×728ミリ)で作られたが、最初のポスターだけエンブレムデザインにあわせた比率で同サイズに引き伸ばし、左右を切り落としたため少し細めになった。

     亀倉氏は長年、グラフィックデザイン界の重鎮として活躍。東京五輪以外にも大阪万博(70年)、札幌冬季五輪(72年)のポスターなども作製した。企業ロゴマークなども手がけ、NTTのロゴは代表作の一つ。80年に紫綬褒章を受章。91年に文化功労者。97年5月に82歳で亡くなった。

     東京五輪のポスターは亀倉氏の大きな業績として紹介されており、1作目のポスターは61年に芸術選奨、66年に第1回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ芸術特別賞などを受けた。また、最初の作品から3作品目の連作で63年に毎日産業デザイン賞(現毎日デザイン賞)を受賞するなど、国内外から高評価を得た。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。