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江戸時代の道標 下半分、35キロ離れた村で発見 経緯不明…元の場所に“帰還”へ

中津市に残る道標の上半分と時松さん。この面の文字「玖」が決め手となった=大分県中津市で、宮本勝行撮影

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刻まれた文字つながり判明

 江戸時代に旅人の道案内の役割を果たした大分県中津市相原の「湯屋の辻の道標(みちしるべ)」の下半分が、約35キロ離れた福岡県東峰村小石原で見つかった。1810年に測量のため中津を訪れた伊能忠敬の日記にも登場する道標で、上半分は1984年に発見されていた。失われた石造物が元の場所に戻るのは非常に珍しく、関係者は「残そうとした人たちの思いが実った」と喜んでいる。

 中津市歴史博物館によると、道標は江戸時代に宇佐八幡宮につながる勅使道でもあった道路の交差点に設置されていた。上半分(高さ66センチ、幅18・5センチ)は84年、近くの用水路の工事中に見つかり、地元のハートフル動物病院の時松聖潤院長 (55)が敷地の一部を提供し、2011年にコンクリート柱に載せた状態で設置された。

 下半分(高さ81・5センチ、幅18・5センチ)は、東峰村小石原の日本工芸館小石原分館跡地に立てられていた。村教委によると、跡地は公園化される予定で、同館を共有していた一人から「元の場所に返したいが分からない」と6月に相談を受けた。

 村教委は、道標の4面に刻まれた文字から元の設置場所は中津市付近と予想し同館に写真を送付。一緒に現地を訪れ「湯屋の辻の道標」の下半分と判明した。決め手は上半分の「従是南玖」と下半分の「珠日田道」。「玖」の一部が欠けていたが、「珠」の上に重ねると「玖」となった。

 道標の下半分は1961年に撮影された工芸館の写真に写っていたが、中津市から東峰村にもたらされた詳しい経緯は不明。3日に同館に寄贈される予定で設置方法を今後検討する。また、寄贈を受けて8~22日、同館で道標について紹介する速報展を開催する。

 時松さんは「湯屋の宝です。下半分が見つかったと聞いてびっくりしました。本当に良かった」と話している。【宮本勝行】

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