①動機は障害者支援の中に? 判決文が与えた衝撃
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2016年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、入所者19人を刃物で殺害した。緑の山々に囲まれた福祉施設を、救急車とパトカーの赤いサイレンが取り囲む。凄惨(せいさん)な事件から4年あまり。なぜ障害者施設の元職員が「障害者は不要」と凶行に及んだのか。事件の裁判が終わり、重い口を開き始めた関係者を訪ね歩いた。連載<#やまゆり園事件は終わったか~福祉を問う>はデジタル毎日の会員向け記事として随時掲載します。【上東麻子、宇多川はるか、塩田彩/統合デジタル取材センター】
障害者支援のボランティア経験もあった植松死刑囚
「酌量の余地は全くなく、死刑をもって臨むほかない」
20年3月16日午後、横浜地裁で、青沼潔裁判長が後回しにした主文を朗読した。植松聖被告(30)は長く伸びた髪を束ね、スーツ姿でいすに座っていた。表情は読み取れない。新型コロナ対策で傍聴人は半分以下に制限され、静かな法廷に裁判長の声だけが響いた。
青沼裁判長は先立って、被告には刑事責任能力があると認め、弁護側が主張した「大麻精神病」のために心神喪失の状態にあったとの主張は退けた。問題は犯行動機だ。
<被告人自身の本件施設での勤務経験を基礎とし、関心を持った世界情勢に関する話題を踏まえて生じたものとして動機の形成過程は明確であって病的な飛躍はなく、了解可能なものである>
このように判決文には<施設での勤務経験>が基礎となって犯行動機が形成されたと書き込まれた。どのような勤務経験が動機になったかは示されなかったが、関係者の感情を大きく揺さぶった。
植松死刑囚は大学時代に小学校の教員を志し教員免許を取得したが、卒業後の12年春に運送会社に就職。その夏に友人に誘われ、やまゆり園でアルバイトとして働き始めた。12年12月に非常勤職員に、13年4月からは常勤となった。
志望動機は「学生時代に障害者支援ボランティアや特別支援実習の経験および学童保育所で3年間働いていたこともあり、福祉業界へ転職を考えた」とあったという。
事件当時、園には約150人の知的障害者が暮らしていた。犯行後、植松死刑囚は自ら警察に出頭したが、その後も障害者への差別的な発言を繰り返した。やまゆり園で勤務した3年余りに何があったのか。
判決文には<証拠上認められる前提事実>としてこんな記述がある。
<被告は施設で勤務を開始し、当初、友人らに対し、本件…
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連載
#やまゆり園事件は終わったか~福祉を問う
植松聖死刑囚の死刑判決が確定した相模原障害者殺傷事件。日本の障害福祉政策の問題点と、解決の道筋を探ります。
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筆者
上東麻子
1996年毎日新聞入社。佐賀支局、西部本社、東京本社くらし医療部などをへて2020年から統合デジタル取材センター。障害福祉、精神医療、差別、性暴力、「境界」に関心がある。2018年度新聞協会賞を受賞したキャンペーン報道「旧優生保護法を問う」取材班。連載「やまゆり園事件は終わったか?~福祉を問う」で2020年貧困ジャーナリズム賞。共著に「強制不妊ーー旧優生保護法を問う」(毎日新聞出版)、「ルポ『命の選別』誰が弱者を切り捨てるのか?」(文藝春秋)。散歩とヨガ、ものづくりが好き。
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筆者
宇多川はるか
2007年入社。仙台支局で東日本大震災、横浜支局で相模原障害者施設殺傷事件を取材。2018年から統合デジタル取材センター。小児がん、保育、虐待など子どもを巡るテーマ、障害者福祉、性暴力、ハラスメントの問題を継続取材。
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筆者
塩田彩
2009年入社。前橋支局、東京本社生活報道部を経て19年5月より統合デジタル取材センター。障害福祉、ジェンダー、性暴力、差別問題などを取材。共著に「SNS暴力 なぜ人は匿名の刃をふるうのか」(毎日新聞出版)。「やまゆり園事件は終わったか~福祉を問う」(2020年貧困ジャーナリズム賞)取材班。