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コロナ禍の中で暮らすために先達に学ぶ必要がありそうだ。そこで、前号の白洲次郎とは異なる生き方を学ぶために、二宮尊徳(金次郎)について考えてみたい。
江戸時代末期にあって、経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した二宮尊徳(1787~1856)は、現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)に生まれた。
尊徳が4歳の時の1791年8月5日、南関東を襲った暴風で、付近を流れる酒匂川の坂口の堤が決壊し、尊徳の住む東栢山一帯が濁流に押し流されてしまった。そのため家の田畑は砂礫と化した。両親は開墾に従事して田畑は数年で復旧したが、借財を抱えて貧しかったという。
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