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社史に人あり

象印マホービン/5 東南アジアで販売促進=広岩近広

日中関係の悪化で貨客船「長崎丸」を護衛する日本の警備艦=1937年8月

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 中国東北部に駐留の関東軍は1931(昭和6)年9月、自ら南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破し、中国軍の仕業と吹聴して軍を出動させた。満州事変の発端となる「柳条湖事件」であり、翌年には傀儡(かいらい)の「満州国」を建国している。日中関係はいっそう悪化し、全面戦争へと傾いていくのだった。

 大阪で魔法瓶を製造していた市川銀三郎は、上海から帰路の船中でずっと悩んだ。中国に製品を輸出できなくなればジリ貧に陥るだろう、魔法瓶から手を引いて他の事業に転じた方がよいのだろうか……。

 帰宅するや、妻の志津と話し合った。しかし、国と国が衝突している問題だから、名案が浮かぶはずもない。志津の温かい励ましを受けるうちに、日付が変わっていた。志津は夫を励ますだけでなく、自らも動いている。輸出に頼るリスクを少しでも減らそうと、国内の卸問屋との太いパイプづくりに励んだ。

 この頃、小学校の高学年になっていた長男重幸は、それこそ日夜、悩み苦しむ両親を見かねたのか、大道易者に相談している。何事も家族で話し合う父と母の姿は、子ども心を触発したようで、易者はこう答えたという。

 <あんたのお父ちゃんは、なかなかの商売人や。商売替えするんやったら、風呂屋がええやろ。人づきあいがええよってに、番台にすわってはったら、繁盛間違いなしや>(社史)

 急いで帰宅した重幸は、さっそく両親に伝えた。父と母はほほえんで受け流したが、長男のいじらしさにうたれる。市川家には、親と子の真実があった。

1931(昭和6)年ごろの広口魔法瓶=象印マホービン提供

 銀三郎は結局、中瓶製造を経営から切り離した。実直な職人に中瓶製造工場を託し、自らは組み立てメーカーに専念する決意だった。昭和7年のことで、この年には、愛知県の故郷から大阪に移り住んだ父彦三郎が亡くなっている。

 中国向けの輸出が落ち込んだため、銀三郎は東南アジアに向けて新商品を売り込んだ。自ら渡航して、販売先と直接交渉するなかで、先方が何を求めているかを肌で感じ取る努力を続けた。

 37(昭和12)年8月、銀三郎が乗った船はシンガポールを出港して、一路日本を目指していた。あと数日もすれば家族と再会できる、と銀三郎は胸を弾ませた。ところが突然、強い暴風雨に見舞われる。船は進路を見失い、中国南方の洋上を漂流し続けた。

 市川家では、妻の志津と高校3年の重幸、中学1年の信明、小学5年の隆義、それに幼い博邦が、ラジオのニュースに聴き入った。一帯の海域が航行上の難所だと、志津や重幸は聞かされていた。ニュースが悲観的な内容になると、志津は心配を隠せない。重幸は母を元気づけ、不安な表情の弟たちを励ました。

 嵐は4日間吹き荒れた。予定より1週間遅れて、銀三郎の乗った船は長崎に入港できた。ラジオのニュースが船の無事を伝えると、市川家は皆で喜びあった。重幸は母を先導し、弟たちを連れて、神戸港で父を迎えた。

 そのような出来事のあった昭和12年を境に、国内外の情勢はさらに悪化し、企業の存立すら脅かすようになる。日本の軍国主義は、アジアの国々を敵に回していた。

 (敬称略。構成と引用は象印マホービンの社史による。次回は9月26日に掲載予定)

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