メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「日本で埋葬を」 ペリリュー島で父戦死 調査見守る79歳 青森

密林の土中に埋もれたままになっている旧日本軍の戦車=ペリリュー島で2019年12月、井川加菜美撮影

[PR]

 太平洋戦争末期に激戦地となったパラオ・ペリリュー島。青森県六戸町の田中恭子さん(79)は戦車隊だった父を戦闘で亡くし、16日で77回目の命日を迎える。遺骨は今も見つかっていない。多くの兵士の遺骨が残されたままになっているこの島で、国はこのほど密林に埋もれた旧日本軍の戦車の発掘調査に乗り出すことを決めた。戦車内に遺骨が残っている可能性があるといい、田中さんは「遺骨が見つかれば日本で埋葬してあげたい」と調査の行方を見守っている。【井川加菜美】

ペリリューの戦いで亡くなった父について語る田中恭子さん=青森県六戸町で、井川加菜美撮影

 田中さんの父将一さんが第14師団戦車隊指揮小隊長としてペリリュー島に渡ったのは戦闘が始まる4カ月前の1944年5月。家族には詳しい行き先を告げず、「何かあれば国が準備した『鉄のひつぎ』の中に入ることになるんだから、何も心配することはない」と話していたという。

田中将一さん=田中恭子さん提供

 田中さんが生後4カ月の時にはすでに現役兵として入営しており、父の記憶はほとんどない。ただ家族や近所の人たちからは、人柄が良く、周囲から慕われていたと聞かされた。

 しかし、戦地に向かう父を見送った後の冬、役場の職員が自宅を訪れ、父の死を告げた。田中さんが4歳の時だった。知らせを受けた祖母が「本当でしょうか……」と泣き崩れたことを覚えている。戦死公報には44年9月16日に亡くなったと記されていた。24歳だった。遺骨は戻ってこなかった。

 旧防衛庁が編さんした「戦史叢書」などによると、米軍は同年9月15日午前に島南西部の海岸から上陸。戦車隊も海岸を目指して出撃したが、米軍の反撃を受け、壊滅に追いやられたとされている。旧日本軍の戦車はその後、米軍によって湿地帯に遺棄されたとみられるという。長い年月をかけて地中にうずもれ、周囲がジャングルと化す中でその存在は忘れ去られていった。

 埋もれた戦車が発見されたのは戦闘から半世紀以上過ぎた99年のことだ。厚生労働省によると、島で戦闘に加わった元海兵隊員らの参加する米国の団体が現地を訪れ、密林の中から見つけ出した。その後、日本側の関係者も確かめた。

 2013年には厚労省も現地で戦車の存在を確認し、その後の調査で戦車内に骨片とみられるものを発見した。戦車内に遺骨が残されている場合、米兵や島民のものが入り込むことは考えにくく、旧日本兵の遺骨である可能性が高いという。厚労省は今年に入り、戦車が埋没しているとみられる付近5カ所の発掘調査許可をパラオ政府当局に申請した。

 遺骨が見つかった場合は遺族とのDNA鑑定によるマッチングを実施する方針も決まった。現在、新型コロナウイルスの影響で渡航が難しくなる中、申請の許可を待つ状況が続いている。

 田中さんは遺骨が見つからなかった時に落ち込まないよう、過度に期待しないようにしているという。ただ、戦車を「鉄のひつぎ」と見立てた父の言葉を思い出すと、やはり言葉通り戦車の中にいるのではないかとも思ってしまう。今夏、南洋の土に眠る父を思い、こんな短歌をよんだ。

 父眠る/島の荒土(あらつち)思いつつ/畝つくりゆく/黒土鋤(す)きて

 「もしも父が見つかればここに連れてきてね、真っ黒いふかふかした土に埋葬してあげたい。そう思うんです」

ことば「ペリリュー島の戦い」

 太平洋戦争末期の1944年9月15日、旧日本軍の飛行場があったパラオ・ペリリュー島に米軍が上陸し、両軍が激戦を繰り広げた。日本軍は壕(ごう)を利用した持久戦を取り、11月24日までの約2カ月半の戦闘で、日本側約1万人、米側約1700人が死亡したとされる。

おすすめ記事
広告
毎日新聞のアカウント
ピックアップ
話題の記事

アクセスランキング

毎時01分更新

  1. NY株反落525ドル安 米与野党協議難航に嫌気、1カ月半ぶり安値水準

  2. 安倍政権が残したもの 私たちが大事「彼ら」は攻撃 オウム真理教報じた江川紹子さんが読む「カルト化社会」

  3. 「ヒステリックブルー」元ギタリスト、強制わいせつ致傷容疑で逮捕 埼玉県警

  4. ミュージカル「刀剣乱舞」東京公演、関係者のコロナ感染で中止

  5. 「もうええわ」ふるさと納税返礼品業者の叫び 指定取り消しの高知・奈半利町

編集部のオススメ記事

のマークについて

今週のおすすめ
毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです