挑むことを「ガー」視する不寛容な時代 政府側で情報発信もした下村健一さんが見たもの
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第2次安倍晋三政権下では、政策論争が軽視された。批判的な意見を「ガー」視する時代の空気を作った。2010年秋から約2年半、民主党(菅、野田政権)と自民党(第2次安倍政権の初期3カ月)の3政権で、首相官邸の情報発信に政府側で従事した元報道キャスターの下村健一さん(60)は、「安倍政権下で、『情報は国民の持ち物』という意識が喪失した」と指摘する。 【山内真弓/統合デジタル取材センター】
――約7年8カ月続いた安倍政権は、社会にどんな影響を与えたのでしょうか。
◆異なる意見に対するリスペクトが、喪失しました。政権運営という至難の業をこれだけ長く続けた労苦には敬意を表しますが、違う意見に対し、「自分たちの意見はこうなんだ」ともっと誠実に答え、議論をしてほしかった。平行線や堂々巡りの時間を長くとって「議論を尽くした」と言われても、本来は、議論をそらしていた時間は議論の時間に含めるべきではないので、カウントの仕方がおかしいですよね。
よく野党やメディアは「説明責任」というワンパターンな言葉を使いますが、本質は「違う意見をリスペクトして議論する責任」。この喪失は、安倍さんの言動も残念ながらお手本の一つとなって、時代の空気としてまん延しました。
象徴的なのは、SNS(ネット交流サービス)に出現した「アベガー」という言葉です。何でも「安倍が」悪い、という批判的言動を揶揄(やゆ)したのが語源ですが、「ガー」という雑音のような語感も安倍支持層のネット民に受けて広がりました。以前は「●●ガー」なんて言葉、なかったですよね。「異なる意見はただのノイズだ」という感覚。国民も、安倍政権の大臣や官僚たちの不誠実な回答を国会中継や記者会見で度々見ているうちに、「異論に対してはこうやってそらしていけばいいんだ」と慣らされてしまった。もともと議論が苦手だった日本人が、ますます議論を軽んじ、そらすことを当然視するようになっていったら、これは政策の是非以前の問題です。
――安倍前首相の言葉だけでなく、国会で飛び交う言葉もわかりにくいです。
◆それは元々の問題で、安倍政…
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