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見過ごせない菅首相の乱暴な言説 普天間移設の歴史に二つの「反故」

普天間飛行場負担軽減推進会議の冒頭で握手する沖縄県の玉城デニー知事(左)と菅義偉官房長官(当時)=首相官邸で2019年4月10日、川田雅浩撮影

 菅義偉首相は首相就任前、自民党総裁選への立候補を正式表明した9月2日の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設について「沖縄の地元の市長、県知事も合意した中で決まった」と述べ、沖縄県が反対している辺野古移設を今後も進める考えを改めて示した。しかし、菅氏の説明は20年以上ある普天間飛行場移設の歴史の一部を切り取ってつなぎ合わせた乱暴な言説で、見過ごせない。2005年から5年間、那覇支局に勤務し、その後も移設問題を見てきた記者として、国民の間に誤解が広がらないよう説明したい。【三森輝久】

 「辺野古移設」とひとくくりで表現される普天間移設計画だが、実は大きく2度姿を変えている。3案あった移設計画のうち、沖縄県知事と名護市長がともに移設に合意したのは最初の1案だけだ。そして1案目に比べて2案目、3案目の現行計画は形だけでなく質的に大きく変化し、知事と市長がそろって容認したことは一度もない。菅氏の説明では、玉城デニー知事が移設に反対する現状に照らせば「かつては知事も市長も移設を容認したのに、今になって知事が反対している」と誤解しかねない。

 移設の歴史を整理しておきたい。普天間飛行場の移設が動き出したのは、25年前に起きた一つの事件がきっかけだ。

 1995年9月、沖縄本島で起こった米兵3人による女児暴行事件。沖縄県警が逮捕状を取ったものの、米軍は日米地位協定を盾に起訴前の3容疑者の身柄引き渡しに応じなかった。県民の反基地感情は大きなうねりになり、慌てた日米両政府は96年4月、普天間飛行場の全面返還に合意した。ただし、県内移設の条件付きで、その移設先に選ばれたのが辺野古だ。

 沖縄県が辺野古移設に反対している現状からすると意外に映るかもしれないが、移設場所を辺野古と決めたのは地元、沖縄だった。

 98年11月の沖縄県知事選。普天間飛行場の県内移設に反対した革新系現職の大田昌秀氏(故人)に対し、保守系新人の稲嶺恵一氏は「15年使用期限の軍民共用空港」を条件に県内移設を容認し、当選した。稲嶺知事は99年11月、名護市の岸本建男市長(故人)に辺野古沖を移設場所として受け入れを要請。岸本市長は翌12月、「15年使用期限」や「基地使用協定締結」など7項目を条件に移設を容認した。政府は「使用期限については米国政府との話し合いで取り上げる」などとして7条件を受け入れた形で移設方針を閣議決定。政府と沖縄県、名護市がその後協議を重ね2002年7月、辺野古沖の海上に移設する計画をつくる。これが1案目、辺野古沖案だ。だが、この計画は反対派の海上での阻止行動などで進まなかった。

 計画を変更したのは小泉…

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