私たちが大事「彼ら」は攻撃 オウム真理教報じた江川紹子さんが読む「カルト化社会」
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「安倍政権だけが原因でなく、社会が安倍政権を生み出した。熟考、自省、寛容が失われ、社会が“カルト化”した」。ジャーナリストの江川紹子さんはこう指摘する。首相官邸の記者会見に出席し続け、安倍政権下での社会の移り変わりを冷徹な視点で見続けてきた江川さんに、7年8カ月の総括と残された課題を聞いた。【上東麻子/統合デジタル取材センター】
社会から「熟考」がなくなった
――安倍政権の時代に何が変わったのでしょうか?
◆まず、社会から「熟考」がなくなったと感じています。反対する人の意見を聞きつつ、考えを練り直すことが少なくなりました。政治の場合、最終的には多数決でも、よく話し合い、より多くの人が納得することを目指すのが民主主義のプロセスです。しかし、手間や柔軟性が必要とされる、そういうプロセスを厭(いと)い、違う考えは受け入れないという非寛容な雰囲気が広がっています。これは安倍政権側だけではなく、それに反対する人たちにも言えることです。「アベ政治を許さない」が高じて、「安倍死ね」みたいな極端な言動まで飛び出しました。
――安倍さんは自分に批判的な人に対して「こんな人たち」という分断を生む言葉を使っていました。
◆自省と寛容さがないからでしょう。私は、安倍さんは情の人だと思うんですが、情の行きわたる範囲が一人称の範囲にとどまっている。自分に近い人と自分を支持してくれる人、つまり「私たち」が大事。だから「私たち」対「彼ら=こんな人たち」になってしまう。「こんな人たち」も国民で、自分は国民全てに奉仕する立場、という発想が希薄なのではないですか。桜を見る会などで「仲間内だけを大事にする」という批判を受けても、まったく自省は見られませんでした。支持層も同様で、「私たちの安倍首相」の言動に少しでも批判的なコメントが許せない。全肯定しない者を全否定して攻撃するんですね。
「アベ政治を許さない」人たちも同じ
その点は、「アベ政治を許さない」人たちも同じです。例えばハンセン病の家族訴訟の控訴見送りについて、私は評価したのですが、そういう是々非々の態度は、「日和(ひよ)っている」と見えてしまうようです。政府がやることは常に全否定しない…
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