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社史に人あり

象印マホービン/6 戦時という「冬の時代」=広岩近広

 日中戦争から太平洋戦争に至った昭和の戦争は、足かけ15年に及んだ。大阪で魔法瓶製造業を起こした創業者の市川銀三郎は、戦時という「冬の時代」に苦しめられた。

防空壕で炊き出しなどの生活訓練をする大阪の女学生=1941年10月

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 戦時下では、国家総動員法(1938年4月)によって、人的・物的資源が統制下に置かれた。1940年には、米や砂糖など生活に必要な10品目の購入にまで切符制が導入される。魔法瓶業界では、ケース(外装)の主材料となる銅や鉄を自由に使えなくなった。従来の金属ケースを製造できないため、アルミケースで代用している。

 日米開戦(1941年12月)を機に太平洋戦争に突入すると、魔法瓶の輸出は厳しさを増した。追い打ちをかけるように、翌年の5月に企業整備令が公布され、労働力を兵役や軍事産業に奪われる。

 魔法瓶の製造一筋に突き進んできた銀三郎だが、企業整備令は手足をもぎとられたに等しい。もはや個人経営者の手の及ぶ事態ではなかった。銀三郎は苦渋の末に、弟の金三郎と創業した「市川兄弟(けいてい)商会」の閉鎖を決める。

 労働力と資材の不足は、戦時の日本につきものだった。それでも銀三郎は、魔法瓶との縁を失いたくないと願う。そこで思いついたのが、購入済みの魔法瓶を修理する店である。いつか再び魔法瓶をつくれる日が訪れてほしい、そう念じて魔法瓶修理の店を構えることに決めた。

 銀三郎と妻の志津は、修理の専門店に適する場所を探し歩いた。修理店は工場とちがい、人通りがあって交通の便に恵まれた立地でなければならない。夫婦が足で稼いで見つけた借家は、道頓堀に近い日本橋の交差点の傍らにあった。

 さっそくオープンした魔法瓶の修理店だが、客の集まりはことのほか悪かった。花見をはじめとする行楽が自粛され、「贅沢(ぜいたく)は敵だ」の世情を反映していた。たまに訪れた客に聞くと、燃料が不自由な防空壕(ごう)に持ち込むのだという。燃料不足は深刻で、一度沸かした湯を保存しておきたいと希望する客は少なくなかった。戦時下ならではの使い道である。入隊した息子に酒を入れた魔法瓶を持っていきたいと、親心をのぞかせる顧客もいた。

 銀三郎にとって、修理店を訪れる人たちの顔を見るのは、なにより喜ばしかった。銀三郎は在庫の魔法瓶を使って、ていねいな修理を続けた。

 1943(昭和18)年を迎えると、事態はさらに悪化する。魔法瓶業界は企業整備令の直撃に遭って、「日本魔法瓶統制株式会社」のみになった。輸入していたコルクがなくなると、キリの木を代用にした。魔法瓶の胴体にしても、ファイバー(繊維)を使っている。

出征前の長男重幸を囲んだ、市川銀三郎と志津の両親=象印マホービン提供

 有名無実の統制会社は、銀三郎夫婦から魔法瓶の製造工場を奪った。そのうえ12月には、長男重幸を軍隊に召し上げられる。重幸は関西大学法学部を卒業して半年後に、陸軍歩兵第22連隊(松山)に入営した。

(敬称略、構成と引用は象印マホービンの社史による。次回は10月3日に掲載予定)

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