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落語の魅力、未来へつなげ 繁昌亭再開、元記者が動画配信など奔走=中川悠 /大阪

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ファンの写真が客席を盛り上げる天満天神繁昌亭。配信動画の編集を担当した林家染八さん(27)=右=とともに笑顔を見せる豊田昌継さん 拡大
ファンの写真が客席を盛り上げる天満天神繁昌亭。配信動画の編集を担当した林家染八さん(27)=右=とともに笑顔を見せる豊田昌継さん

 「オンライン繁昌亭」に「デジタル彦八まつり」――。ようやく7月から再開を果たすことができた上方落語協会の天満天神繁昌亭(大阪市北区)が、オンライン配信にも力を注いでいる。

 新型コロナウイルスの感染防止策で、メインの昼席公演は従来1日8席のところを今は6席、約2時間のコンパクト版に。終演時の恒例行事だった落語家の「お見送り」も中止にした。高齢の客が多く足を運ぶ場所だからこそ、配慮に余念がない。

 3月3日以降、繁昌亭は協会主催公演を中止。4月になると貸館事業である夜席も含めた全公演もストップに。再開に至るまで繁昌亭での約300公演、加えて島之内寄席や東京・名古屋公演など約50公演も消えてしまった。協会内のアンケートで「4月が無収入だった」と答えた落語家は、回答者のうち7割にも及んだ。

 繁昌亭で「企画戦略室」の肩書を持つ豊田昌継(まさつぐ)さん(55)は、元新聞記者。芸能記者として辣腕(らつわん)をふるっていた経験を落語の世界で存分に生かしてほしいと声が掛かり、今年2月に上方落語協会へ転職。じっくりと腰を据えて業界を盛り上げる作戦を練ろうと考えていた矢先に、コロナ自粛が始まってしまった。

 まず豊田さんは、落語家たちの活躍の場をつくるため、動画での落語の生配信にチャレンジ。映像編集には若手落語家が関わってくれた。同時に、寄席の再オープンに向けた運営指針や感染防止のマニュアルづくりを担当。豊田さんは「実は記者時代にはエクセルソフトを使う機会も少なかったし、動画編集に至っては人生で初めて。この年齢にして今でも初体験ばかりの毎日です」と前向きに笑う。

 学生時代から放送作家に憧れていた豊田さんは、「お笑い」に最も近づくため新聞記者の道を選んだ。さらに芸能担当になるべく夕刊紙に狙いを定め、1989年に入社。以来30年近く、音楽・漫才・落語などの取材だけでなくイベントの企画立案や芸能コラムなどを担当した。2018年には兵庫県洲本市に支局長として赴任。「淡路島の自然や人々にすっかり魅了されてしまって、終(つい)の住み家はここだ!って心に決めていたんです」。しかし、期せずして上方落語協会の笑福亭仁智会長から「協会の変革に力を貸してほしい」と声が掛かった。「残りの人生は、自分の力を必要としてくれる人たちのために使いたい」。豊田さんは、移住の夢を先延ばしにして、寄席の世界に飛び込んだ。「新聞社にいるときは、どこか会社に守られていた。でも、今は“個”の力を試されていますね」

 7月以降、客席は前後左右を1席ずつ空けた「市松模様」に。通常216席から102席に半減した。そこで、使用不可席に1カ月2000円でお客さんの写真パネルを飾ってもらうキャンペーンを実施中。これまで延べ100人のパネルを飾り、高座に上がる落語家をファンとともに鼓舞している。

 「昼席が終わったので、次はデジタル配信の準備です。一人でも多くの人に上方落語の魅力を伝えないとね!」。豊田さんは今日も、まさに東奔西走で走り続ける。上方落語が培ってきた文化のバトンを、一日でも長く未来につなぐために。<次回は10月23日掲載予定>


 ■人物略歴

中川悠(なかがわ・はるか)さん

 1978年、兵庫県伊丹市生まれ。NPO法人チュラキューブ代表理事。情報誌編集の経験を生かし「編集」の発想で社会課題の解決策を探る「イシューキュレーター」と名乗る。福祉から農業、漁業、伝統産業の支援など活動の幅を広げている。

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