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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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Jヴィレッジ数奇な23年 復興シンボルなお試練 「原発見返り」が前線基地に

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Jヴィレッジが全面再開し、記念式典の最後には風船が飛ばされた=福島県楢葉町で2019年4月20日午前10時10分、宮間俊樹撮影
Jヴィレッジが全面再開し、記念式典の最後には風船が飛ばされた=福島県楢葉町で2019年4月20日午前10時10分、宮間俊樹撮影

 東京ドーム10個分の敷地に青々とした天然芝を含む9面のピッチが広がる。新型コロナウイルス感染拡大による東京オリンピック延期で、ここを起点とする聖火リレーの出発も来年3月25日に延びた。福島県楢葉、広野両町にまたがるサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。1997年開業の「サッカーの聖地」は、9年半前の東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故で前線基地に変貌。2019年、新ホテル棟なども加わり「復興のシンボル」として全面復活を遂げた。だが2期連続赤字となり、五輪を起爆剤に期待した集客も、相次ぐキャンセルで試練の時を迎えている。【関谷俊介】

サッカー練習場、見る影もなく

 ピッチを眼下に望むJヴィレッジの展望スペースには、開業当時から原発事故を経て再オープンに至るまでの道程を伝えるパネルが掲げられていた。「東日本大震災発生」のパネルには津波が襲いかかる沿岸部やうねりながら地割れした道路の写真。11年3月11日、付近を震度6強の揺れが襲った。だが、Jヴィレッジは海抜40~50メートルの高台にあり、津波による被害を免れる。上海から合宿に訪れていた約50人の子どもたちや「津波で家がなくなった」と口にする約200人の住民らが体育館に身を寄せた。ホテル棟のフロント係だった後藤朋久さん(53)は「雪が舞う中、着の身着のままの子どもたちを避難させ、ホテルの客室から布団を運び込んだ」と振り返る。

 夜中、自衛隊のヘリコプターがピッチに着陸すると連絡が入った。車を集めて着陸地点をヘッドライトで照らした。地元の中学生が所属するJヴィレッジのサッカーチームでコーチを務める明石重周(しげなり)さん(42)は「カーナビのテレビで津波の映像を見た時の衝撃は今も忘れられない」と話す。

 地震、津波に加えて、北約20キロにある福島第1原発では事態が深刻化していた。翌12日朝、楢葉町の…

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