入鹿が焼き打ちした斑鳩宮の壁土か 法隆寺の倉庫で80年ぶり確認

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斑鳩宮の一部の可能性がある焼けた壁土=奈良県斑鳩町法隆寺西1の斑鳩文化財センターで2020年10月13日午後2時45分、加藤佑輔撮影
斑鳩宮の一部の可能性がある焼けた壁土=奈良県斑鳩町法隆寺西1の斑鳩文化財センターで2020年10月13日午後2時45分、加藤佑輔撮影

 奈良県斑鳩町の法隆寺で、聖徳太子が造営し、643年に蘇我入鹿の焼き打ちで焼失したとされる「斑鳩宮」の一部とみられる壁土が約80年ぶりに確認された。17日から同町の斑鳩文化財センターで開かれる特別展で初公開される。壁土は1939年の発掘調査で出土し、寺の倉庫に保管されていたが、長く所在が確認されていなかった。

 法隆寺東院伽藍(がらん)は8世紀に斑鳩宮跡に建立されたと伝わる。同年の発掘調査は東院伽藍の伝法堂(国宝)の解体修理に伴って実施され、焼けた壁土や7世紀前半の瓦などが出土した。当時、研究者の間では、斑鳩宮焼失を示す可能性がある資料として評価されたが、その後、太平洋戦争が始まるなどし、一般には日の目を見ることがなかった。

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