太平洋戦争中、学徒動員先で空襲の犠牲になった女学生10人の追悼式が24日、27年ぶりに復活する。佐賀県鹿島市の県立鹿島高に残る資料で先輩たちの戦災死を知った同校2年、川崎花笑(はなえ)さん(16)が学校や同級生らに働きかけ実現した。戦後75年がたち戦争の記憶は風化が進むが、川崎さんは「亡くなった学生やその家族、同級生らの悲しみに思いをはせる時間に」と願う。
同校の前身の一つ、県立鹿島高等女学校の創立100周年記念誌などによると1944年9月、学校から約300人が長崎県大村市の「第21海軍航空廠(しょう)」に動員された。戦闘機「紫電改」などを生産し東洋一と称された軍需工場は翌月25日、米軍のB29爆撃機による「大村大空襲」で壊滅的な被害を受けた。
この記事は有料記事です。
残り866文字(全文1193文字)
毎時01分更新
第164回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が20…
他殺か、それとも中毒死か――。被害者の死因について検察側と…
新型コロナウイルス対策の特別措置法や感染症法に過料など罰則…