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花園プレーバック 第51回~第60回

高校生ラガーマンたちのあこがれの舞台「花園」。全国高校ラグビーのこれまでの熱闘を大会ごとに振り返ります。

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花園プレーバック

第60回:伏見工が出場2回目で初の日本一

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初優勝を果たし、山口良治監督(中央)と喜びを分かち合う伏見工の選手たち=1981年1月
初優勝を果たし、山口良治監督(中央)と喜びを分かち合う伏見工の選手たち=1981年1月

1980年度

第60回大会のトーナメント表 拡大
第60回大会のトーナメント表

 後に人気テレビドラマ「スクールウォーズ」のモデルになった伏見工(京都)が、大阪工大高との戦後初の京阪決勝を制し、出場2回目で初の日本一に輝いた。

 栃木国体では優勝を分け合った両校。ともに平均体重が80㌔を超える重量FWの破壊力に加え、バックス陣の切れ味も鋭く、バランスが良かった。伏見工はSO平尾を司令塔に、攻守に隙(すき)のない大阪工大高とともに、優勝候補の前評判通りに勝ち上がり、決勝のスタンドは1万人の観衆が埋めた。

決勝の後半29分、ゴール左隅にトライして喜ぶ伏見工のWTB栗林(左)=花園ラグビー場で1981年1月7日 拡大
決勝の後半29分、ゴール左隅にトライして喜ぶ伏見工のWTB栗林(左)=花園ラグビー場で1981年1月7日

 ともに強固な防御網で突破を許さず、PG1本ずつを決めて3-3で迎えた後半29分。伏見工は相手陣35㍍のスクラムからフランカー西口が持ち出し、NO8小嶋からパスを受けたSH高崎は、内に寄ってきた相手バックスの動きを見透かすように、SO平尾を飛ばしてCTB細田に回し、最後はWTB栗林が相手FB仲宗根のタックルをかわして左隅へ決勝トライを決めた。ノーサイド寸前の劇的な幕切れで締めくくり、第11回大会(1928年度)の同志社中以来、49大会ぶりに京都勢が頂点に立った。

記念大会で「1県1校」出場 山形は予選なしで

 60回を迎えた大会を記念して「1県1校」出場となり、過去最多の53校が出場。山形、島根、沖縄の3県が初めて花園の舞台に立った。中でも酒田工(山形)は加盟校が1校のみだったため、予選なしでの出場となった。東北各県との練習試合で100失点以上の完敗が続いて出場辞退も検討したが「山形県ラグビーのスプリングボード(足がかり)と捨て石になろう」と覚悟を決めて臨んだ。酒田工を含む初出場の13校は2回戦までに全て姿を消した。一方で、シード11校は順当に勝ち進んだ。準々決勝で伏見工をたじろがせるタックルを見せた秋田工、FW一辺倒から展開力のあるバックスを育て上げて変身した黒沢尻工(岩手)、強力なFWの押しに徹した目黒(東京)や関商工(岐阜)の健闘が目を引いた。

初優勝した伏見工の司令塔として躍動した平尾=花園ラグビー場で
初優勝した伏見工の司令塔として躍動した平尾=花園ラグビー場で

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