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平安時代初期に平安京の朱雀大路を挟んで世界遺産・東寺(京都市南区)と対称の位置に建てられ、鎌倉時代に廃絶した「西寺(さいじ)」の跡地(同区)で、仏像を安置する須弥壇(しゅみだん)の跡が見つかった。市文化財保護課が22日に発表した。東寺の須弥壇の約3分の2のサイズで、須弥壇を置く講堂の大きさも異なっていた。専門家は「密教」を説く空海が関わった東寺に対し、西寺は奈良時代から続く「顕教」の寺だった可能性があるとして「新旧の仏教の力で平安京を守ろうとしたのでは」と推察する。
西寺の講堂跡地を中心に9~10月に実施した発掘調査で須弥壇の跡が確認され、大きさは奥行き6・3メートル、幅17メートルだった。奥行きは東寺と同じだが、幅は7・5メートル短かった。講堂の大きさも基壇(土台)で奥行き約25メートル、幅約39メートルと判明し、須弥壇に合わせて東寺(奥行き約23メートル、幅約42メートル)より小さかった。
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