官民挙げた国産ジェット機「離陸」できず 三菱ジェットはなぜ凍結されたのか
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三菱重工業は、国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧MRJ)の事業を凍結する。相次ぐトラブルで納入延期を繰り返すうちに、新型コロナウイルスの感染拡大で世界的に航空需要が減少。受注が見通せなくなったのが要因だ。官民を挙げて取り組んできた国産ジェット機事業は、“離陸”できないまま見直しに追い込まれた。
乏しい知見と甘い見通しで納期6度も延期
「親会社の三菱重工からは、まだ何も聞かされていない」。三菱重工の子会社でスペースジェットの開発を担う三菱航空機(愛知県豊山町)の男性社員は、事業の凍結の報道に言葉少なにそう語った。
新型コロナによる航空需要の激減などを受け、三菱重工は30日に発表する中期経営計画にスペースジェットの開発費の大幅削減を盛り込む見通しだ。しかし、事業はコロナ前からすでに行き詰まっていた。
三菱重工が国産ジェット機の事業化を決定したのは、2008年にさかのぼる。戦後初のプロペラ旅客機「YS11」が1973年に生産を停止して以来、約半世紀ぶりの国産旅客機として、日本の航空機産業を育成する目的から大きな期待が寄せられた。
当初は13年に全日本空輸(ANA)への初号機納入を予定していた。しかし、運航に必要な「型式証明(TC)」の取得に取りかかった段階で、欧米の安全基準を満たすため設計変更などを余儀なくされ、これまでに納期を6度も延期した。
開発遅れの背景に…
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