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民間人80万人を含む310万人が犠牲になり、アジア諸国にも甚大な被害を与えた日中戦争、第二次世界大戦の終結から75年。戦後生まれが全体の8割を超え、戦争の実相を知る体験者は減り続けています。壮絶な体験を語り継ぎ、新たな悲劇を防ぎたい。体験者の「次代への遺言」を映像で記録します。
/2 大島満吉さん(84) 母は妹を手にかけた 「悲劇の歴史、風化させない」
毎日新聞
2020/10/24 10:00(最終更新 10/24 10:06)
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「絶望した母は妹の喉に軍刀をあてがい、『ごめんね、お母さんもすぐ行くからね』と言って突いてしまいました」
太平洋戦争の終戦直前、旧満州(現中国東北部)に侵攻したソ連軍の戦車部隊の攻撃や自決で1000人以上の日本人が犠牲になった葛根廟(かっこんびょう)事件。東京都練馬区の大島満吉さん(84)はわずか百数十人の生存者のひとりだ。
事件が起きたのは1945年8月14日の正午前。満州北西部の興安街(現中国内モンゴル自治区ウランホト市)から逃れた日本人避難民が、チベット仏教寺院「葛根廟」に向かう途中だった。
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