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次代への遺言~私が見た戦争

民戦後生まれが全体の8割を超え、戦争の実相を知る体験者は減り続けています。体験者の「次代への遺言」を映像で記録します。

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次代への遺言~私が見た戦争

/2 大島満吉さん(84) 母は妹を手にかけた 「悲劇の歴史、風化させない」

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日本の敗戦前日、旧満州に侵攻したソ連軍の戦車部隊の攻撃で1000人以上の日本人が犠牲になった葛根廟事件を生き延びた大島満吉さん=東京都豊島区で2020年9月14日、後藤由耶撮影
日本の敗戦前日、旧満州に侵攻したソ連軍の戦車部隊の攻撃で1000人以上の日本人が犠牲になった葛根廟事件を生き延びた大島満吉さん=東京都豊島区で2020年9月14日、後藤由耶撮影

 「絶望した母は妹の喉に軍刀をあてがい、『ごめんね、お母さんもすぐ行くからね』と言って突いてしまいました」

 太平洋戦争の終戦直前、旧満州(現中国東北部)に侵攻したソ連軍の戦車部隊の攻撃や自決で1000人以上の日本人が犠牲になった葛根廟(かっこんびょう)事件。東京都練馬区の大島満吉さん(84)はわずか百数十人の生存者のひとりだ。

 事件が起きたのは1945年8月14日の正午前。満州北西部の興安街(現中国内モンゴル自治区ウランホト市)から逃れた日本人避難民が、チベット仏教寺院「葛根廟」に向かう途中だった。

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