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常夏通信

その67 戦没者遺骨の戦後史(13) 硫黄島生還者が語る栗林忠道中将 戦術巡る対立でいらだち

米国の戦車の残骸が残る硫黄島を巡拝する関係者=東京都小笠原村で2020年10月24日午後2時38分(代表撮影)

 第二次世界大戦末期、硫黄島(東京都小笠原村)の戦いでは、日本軍守備隊約2万1000人のうち、生き残ったのは1000人ほどだった。私はこのうち3人にインタビューしたことがある。大曲覚さん(故人)はその一人だ。日本軍の奇跡的善戦で知られる硫黄島の戦いだが、兵士たちは米軍との戦闘前から相当弱っていたようだ。「兵たちは壕(ごう)掘りや陣地造りのため、ほとんど不眠不休で働いていました。おまけにアメーバ赤痢や飢え、渇きに苦しんでいたんです。米軍が上陸してくる前、すでにまともに戦える状態ではなかった」と、大曲さんは証言してくれた。

 1922年、福島県小高町(現南相馬市)生まれ。地元の旧制中学を卒業し海軍を志願。44年5月、21歳で少尉に任官した。同年8月、南方諸島海軍航空隊(南方空)の一員として渡島。若くしておよそ200人を指揮する立場である。

 硫黄島の戦いといえば、守備隊を指揮した栗林忠道陸軍中将(戦死後に大将)。長野県松代町出身。地元中学から陸軍士官学校に進み、騎兵科将校となった。さらに陸軍大学校を卒業。エリートだ。ただ陸軍のエリートはドイツに駐在するのが出世コースだったが、栗林はアメリカだった。ここでアメリカの強大な国力を知ったと思われる。1940年、少将に昇任。43年6月に中将、近衛第2師団長となった。近衛師団は天皇を守ることを任務とするもので、陸軍軍人にとって非常に名誉な師団であった。しかし、栗林は1年ほどで異動となった。部下が起こした火事が原因とされる。

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栗原俊雄

1967年生まれ、東京都板橋区出身。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院修士課程修了(日本政治史)。96年入社。2003年から学芸部。担当は論壇、日本近現代史。著書に「戦艦大和 生還者たちの証言から」「シベリア抑留 未完の悲劇」「勲章 知られざる素顔」(いずれも岩波新書)、「特攻 戦争と日本人」(中公新書)、「シベリア抑留 最後の帰還者」(角川新書)、「戦後補償裁判」(NHK新書)、「『昭和天皇実録』と戦争」(山川出版社)など。

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