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飛鳥京跡苑池の北池の構造明らかに 西岸は石積みの階段状護岸 奈良・明日香村

飛鳥京跡苑池の「北池」で確認された階段状の護岸=奈良県明日香村で2020年10月28日午前10時14分、山崎一輝撮影

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 国内初の本格庭園とされる奈良県明日香村の飛鳥京跡苑池(えんち)(7世紀中ごろ)の発掘調査で、南北二つあった池のうち、北池の西岸が全て石積みの階段状護岸だったことが分かった。県立橿原考古学研究所が28日、発表した。既に判明している南池に加え、構造が不明だった北池の規模や平面形などの全容が明らかになり、担当者は「発見から20年かかってようやくメインの二つの池の様子が分かってきた」としている。

 2018年度から北池の構造を明確にする発掘調査を継続。20年度は残っていた北西部の約380平方メートルを掘り下げた結果、18年度の調査で想定された最大で東西約36メートル、南北約52メートルという規模が確定した。

飛鳥京跡苑池

 西岸は約48・8メートルあり、北西角で東側に湾曲していた。階段状護岸は直線部分で9段分、湾曲部分で7段分を確認した。後に改修された湾曲部より東側も元は階段状護岸だったとみられる。これまでの調査で、南池の護岸は垂直だったことが分かっており、東アジアの宮廷庭園の色合いが残り観賞用との見方もある南池と、祭祀(さいし)用とみられる北池の構造の違いが改めて確認された。

 苑池は斉明朝(655~661年)に築造。北池は7世紀後半以降、護岸の裾部に盛り土をして砂利を敷くなどの改修がなされている。池の北西部でも同様の遺構が見つかり、天武朝(673~686年)の頃に整備されたとみられる流水施設を含め、改修が北池全体に及んでいたことも分かった。橿考研は、改修後は中央部に卵形の水面がある景観に大きく変化したとしている。

 木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「天武朝の頃、州浜状の緩い傾斜の岸辺に造り替えられている。改修の時期はいろいろな文化が日本独自の変化をしていく時期に当たり、日本庭園につながっていく始まりの様子がかなり分かってきた」と話した。現地は31日午前10時~午後3時に公開(小雨決行、密を避けるため説明はしない)する。橿考研(0744・24・1101)。【姜弘修】

飛鳥京跡苑池

 1999年に確認された飛鳥時代の庭園遺跡で、5人6代の天皇の宮殿があった飛鳥宮跡内郭(内裏)の北西に隣接する。供宴や祭祀(さいし)が行われていたとみられ、2003年に国の史跡・名勝に指定された。復元整備に向け、奈良県立橿原考古学研究所が10年度から継続して発掘調査しており、19年度には北池の北東部で石敷き・石組みの流水施設が発見された。

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