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「肩の荷下りた」直後の首里城火災 涙も出なかったあの夜…2度目の復元 技術者の思い

「若いスタッフに技術を継承しながら再建に取り組みたい」と語る平良啓さん=那覇市で2020年10月15日午後5時50分、遠藤孝康撮影

 1945年の沖縄戦で灰燼(かいじん)に帰し、92年になって復元された首里城(那覇市)。沖縄戦で散逸した資料を関係者が探し集め、琉球王国時代の姿をよみがえらせたが、2019年10月末の火災で再び正殿などが焼け落ちた。火災から1年、首里城では現在、正殿再建に向けた取り組みが進む。92年の「平成の復元」に関わり、今再び「令和の復元」に挑む技術者の思いとは――。

 「やっと自分の役割は終わった。正直そう思っていたんですけどね」。那覇市の建設コンサルタント会社「国建(くにけん)」の常務取締役、平良啓(たいらひろむ)さん(66)は振り返る。首里城では19年2月、正殿裏に王族たちの居住空間「御内原(おうちばら)」エリアが復元され、城郭内の整備が完了。85年から復元建物の設計などに関わってきた平良さんが「肩の荷が下りた」と感じた直後に起きたのが、あの大火災だった。

 「平成の復元」で、国建は業務を受注した日本公園緑地協会のワーキングスタッフとして正殿の調査・設計業務に加わった。平良さんは当時30代前半の若手社員。「ビッグプロジェクトに参加できるということで、上司に誘われ、ぱっと手を挙げた」。86年、台湾を訪れ、正殿の骨組みに使う木材の入手にめどをつけ、その年から3年間にわたる設計作業が始まった。

 とはいえ、当初は正殿内の間取りさえ確定的な情報はなかった。1879年の琉球王国滅亡後、正殿は日本軍の兵舎や学校の校舎に使われ、大幅に改変されていた。さらに45年の沖縄戦で建物自体がなくなっていた。「王国時代の正殿内部は? 塗装の色は? 材料は?」。平良さんらは歴史家の高良倉吉(たからくらよし)さん(73)と、戦火を免れた資料探しに東奔西走した。

 そんな中、戦前に沖縄の文化財を調査した鎌倉芳太郎氏の著書に正殿正面の絵図が載っているのを上司が発見。調査の結果、鎌倉氏が残した1768年の正殿改修時の記録など膨大な資料が沖縄県立芸大に寄贈されていることが分かった。通称「寸法記」と言われるその記録には、数々の疑問への答えがあった。「感動しましたね。資料から『私を見つけて』と声がかかっているような不思議な感じだった」

 設計を終え、89年に正殿の復元工事が始まると、平良さんは現場で工事監理の仕事に携わった。正殿、北殿、南殿・番所、奉神門。御庭(うなー)と呼ばれる空間を囲う中心部の建物が職人の手で次々と築かれていった。夜、まだ砂利だった御庭の中央に腰を下ろし、周りを見回した。「これが王国時代の空間か」。巨大な木造建築を手作業で造り上げた沖縄の先人たちに尊敬の念を抱くとともに、日中のはざまで海洋交易国家として栄えた琉球王国がよみがえった気がした。

 「正殿が燃えている。今、南殿にも燃え移った」。19年10月31日未明、社員からの電話でたたき起こされた。テレビをつけ、妻と一緒に闇の中で真っ赤に燃え上がる正殿の映像を見て目が点になった。長い時間をかけて造り上げたものが一瞬にして消えた。…

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