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沿岸南行記

津波の爪痕、復興の息吹。東日本大震災直後に当時の盛岡支局の記者らが電車やバスなどを乗り継いで被災地を南へと向かい、そこで生き抜く人々の今を伝えました。

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沿岸南行記

岩手県陸前高田・2011年4月7日 離れられない故郷

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親類に借りた車で街を巡り、慈恩寺(左奥)に戻った菅野徳一さん。「ここらは代わり映えしねえなあ」=岩手県陸前高田市広田町で2011年4月7日午前6時52分撮影
親類に借りた車で街を巡り、慈恩寺(左奥)に戻った菅野徳一さん。「ここらは代わり映えしねえなあ」=岩手県陸前高田市広田町で2011年4月7日午前6時52分撮影

 水平線が赤い光を帯びる朝5時、岩手県陸前高田市広田町の避難所・慈恩寺の境内で薪に火がつく。「物資はある。無いのは金だけだなあ」。菅野徳一さん(66)の冗談で、たき火を囲む男性たちは笑い合う。ひとしきり会話が弾んだら次は掃除だ。この日課もすっかり板についた。

 リーダーで元高校教員の菅野さんに「過酷な避難生活を体験して伝えて」と勧められ、3月17日から3日間ここで寝食をともにした。

 あれから約3週間。仮設トイレが設置され男性たち手作りのドラム缶風呂もできた。電気や水はまだだが、ガソリンを確保でき発電機がうなる。80人いた避難者は「身寄りがない」などの理由で半数が残り、半数は内陸部や親類宅に身を寄せた。

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