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東京へ ともに歩む

毎日新聞

毎日ユニバーサル委員会の公開シンポジウムで共生社会の実現について発言する山田拓朗=東京都文京区で2020年10月14日、竹内紀臣撮影

パラアスリート交差点

競泳・山田拓朗「変化を恐れない」 経験、丁寧に伝えたい

 先月、毎日ユニバーサル委員会の公開シンポジウムに出演しました。「パラリンピックが発展させる共生社会」をテーマに他の選手らと思いを語り合いました。

 自分たちパラアスリートの役割とは何か。私のように先天性の障害を持つ場合と、病気や事故などによる後天性の障害を持つ場合では考え方の違いがあると思っています。後天性の選手は健常者として生活している中で、身体の一部の機能を失いました。同じような境遇にいる方たちに競技を通じ希望や勇気などメッセージを届けようと考えている選手が多くいるように思います。

 私は生まれながら左肘から先がなく、人生の途中で何かを失ったわけではありません。たまたまそういう体で生まれてきたわけで、片腕がないことを悔やんだことはありません。普通に生活を送りながら水泳と出合い、「何かを伝えないといけない」という感情が湧いてくることはなく、10代の頃は「共生社会」という言葉にもピンときていませんでした。

 本来は障害の有無にかかわらず、それぞれの人に果たす役割があると思います。ただ、私たちは人との違いが明確に分かる形で育ち、「自分にしかできないことをやらないと」という思いが強くなります。それが何か。見つけることはすごく難しいことです。

 後天性の選手がメディアで取り上げられる際、壁にぶち当たり、そこからはい上がってきたというストーリーで伝えられることが多々あります。ただ、パラスポーツの魅力はそれだけではありません。仮に障害を挫折とするならば、私たちは生まれた瞬間に挫折したことになりますが、そんなことは思ったこともありません。

 障害に関係なく自分が得意だと思えることに夢中になり、目標を持ち続ければ、大きな舞台で活躍することができます。先天性の障害を持って生まれた一人として、自らの経験や思いを丁寧に伝えていくことが役割だと年齢を重ねて思えるようになりました。

 パラリンピックで良い成績を残すことだけでなく、さまざまな分野で社会とつながり自分の存在価値を示すことができたらいいと考えています。(あすは車いすラグビーの倉橋香衣です)

Q 大切にしている宝物を教えてください。

 A 小学校低学年の時に初めて出場したパラ競泳日本選手権の金メダルです。ただ、自分で獲得したわけではありません。出場した男子50メートル自由形は2位に終わりました。当時は優勝者にしかメダルを授与されませんでした。

 ただただ、あのメダルがほしいという思いで泳いでいました。肩を落としていた帰り道、同じクラブの先輩が自分で取ったメダルのうちの一つを渡してくれました。2000年シドニー・パラリンピックの金メダリスト、酒井喜和さんです。酒井さんに憧れ、自分の力でメダルが取れるようになりたい。そう思えた原点の金メダルです。

やまだ・たくろう

 兵庫県三田市出身。先天性の障害で左肘から先がない。競泳男子自由形で短距離が専門。パラリンピックには、日本歴代最年少の13歳で臨んだ2004年アテネ大会から4大会連続出場。16年リオデジャネイロ大会では男子50メートル自由形(運動機能障害S9)で銅メダル。NTTドコモ所属。29歳。(タイトルは自筆)