2025年、大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)を舞台にした大阪・関西万博で、会場全体のデザインを手がける。1970年の大阪万博では巨匠、丹下健三が同様の任務を果たしたとあって「まず重責を感じました」。同時に「これからの時代、万博で何ができるかは大切なチャレンジになる」と語る。
自然豊かな北海道・旭川の隣町で育った。物理学者を目指して東大理科1類に進学するも授業が分からず、困った末に「なんとなく選んだ」のが建築学科だった。当時は名前も知らなかったというル・コルビュジエや丹下の作品を見て「一気に建築の面白さに引き込まれた」。北海道の雑木林と東京の入り組んだ路地。「乱雑さの中にゆるやかな秩序がある」二つの原風景が自身の建築のベースになった。
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