大友(おおとも)氏は本貫(ほんがん)(本拠地)が畿外とはいえ、北陸道と畿内の結節点を支配する豊かな氏族。加えてもし近江に京が置かれれば、大友氏は飛鳥周辺に本貫を持つ蘇我(そが)氏や大伴(おおとも)氏、物部(もののべ)氏といった大豪族にも劣らぬ重要な一族と変わる。
手輿(たごし)を担う男たちが身じろぎする都度、冷たい水飛沫(しぶき)が額田(ぬかた)の頰に飛ぶ。それを拭いもせぬまま、額田は屹立(きつりつ)する山嶺(さんれい)とはるばると広がる湖に挟まれた狭隘(きょうあい)な地に目を走らせた。
つまりこの地への遷都は、伊賀(いがの)王子(みこ)の勢力を確固とするため。葛城(かつらぎ)は息子を自らの後継者に据える準備を、着々と進めているわけだ。そう考えれば、子(こ)麻呂(まろ)を近江に連れて行く役目が、額田に任されたのも納得が行く。
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