学術会議「政府は形式的任命」 中曽根氏答弁の裏であったせめぎ合い
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日本学術会議の新会員候補6人の任命拒否問題で、野党や学術会議側は1983年に中曽根康弘首相(当時)らが国会答弁した「政府が行うのは形式的任命に過ぎない」と矛盾する、不当な解釈変更だと批判している。中曽根氏は当時、なぜそう答弁したのか。当時の公文書や国会議事録などをもとに検証すると、会員選考方法を変更する法改正を進める政権側と、独立性が損なわれることを懸念する学術会議側との間で激しい論争があった末に編み出された実態が浮かびあがった。【岩崎歩、柳楽未来】
学術会議の会員選出方法は、これまでに大きく2回変更されている。いずれの場合も、選出方法を定めた日本学術会議法の改正が必要になり、国会で変更のあり方が議論になった。
1949年に発足した当初、第二次世界大戦で科学者が戦争に協力した反省から、政府から独立した立場で科学に根ざした提言を行えるよう、会員は全国の科学者による選挙で選ばれていた。このため同法では、学術会議は首相が所轄するとした一方、公選制であるため会員の任命に関する規定はなかった。
発足当初の公選制、自民が「特定の組織や政治思想に偏っている」と問題視
ところが徐々に会員に立候補する科学者が減っていき、80年代に入ると与党の自民党から、会員が特定の組織や政治思想に偏っているのではないかとして公選制を問題視する声が強まり始めた。公選制の廃止のほか、民間組織への移行などを求める意見もあった。鈴木善幸内閣は82年11月、それまでの公選制から学会推薦制に変更する「総理府総務長官試案」を学術会議に示した。
しかし学術会議側は、学会推薦になると政府による任命行為が必要になることで独立性が侵害されると懸念した。翌83年1月、内部で試案の問題点を検討した結果を報告書にまとめ「任命が政府によって実質的に左右されることがあってはならない。あくまで形式的任命権にとどめておかなくてはならない」「実質的任命権にならないような法令上の根拠を明確にしておくことが不可欠」と訴えた。
ところが、その後発足した中曽根内閣は同年4月、学術会議の事前同意なしに、学会の推薦をもとに首相が任命する制度に変える日本学術会議法の改正案を国会に提出した。
「学会推薦に変更」改正法案に揺れた学術会議
提出に先立ち、政府側と折衝してきた学術会議の久保亮五会長(当時)は「今後も自主性が生かされるよう政府との協議を進める」との会長見解を発表。改正に反対しない姿勢を示していた。だが…
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