第30回 ニーチェを生き、ニーチェを呼吸した三島由紀夫
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第二次世界大戦が終わりに近づいていた頃、恥ずかしがり屋で、内面の動揺とフラストレーションで煮えたぎっていた早熟な19歳の少年は、「悲劇の誕生」という本を見つけた。それは、絶対に忘れることができない、今までの悩みから解放された、自己啓示の瞬間だった。
それは独哲学者のニーチェが19世紀に書いた本だった。そこには「ディオニソスの概念」が説明されていた。それは、すべてを包括する原初のエネルギーであり、それからすべてが生まれ、そしてそこへまた戻っていくという考えで、苦痛なほど内気で孤立していた青年にとっては、これ以上ない慰めであり、インスピレーションの源となった。その青年の名前は平岡公威。1941年に16歳で最初の作品を出版した時、彼は三島由紀夫というペンネームを使った。
戦況が悪くなるにつれて、彼の外面と内面の両方の世界の混乱と狂乱が、アポロン的芸術を創作するのに使われるという概念は、三島の心に超越感をもたらし、それは彼の人生と創作の核心として一生続いた。
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