連載

日本文化をハザマで考える

日本文学研究家のダミアン・フラナガンさんが、日英の「ハザマ」で日本文化について考えます。

連載一覧

日本文化をハザマで考える

第30回 ニーチェを生き、ニーチェを呼吸した三島由紀夫

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
東京・南馬込の自宅でインタビューに応じる三島由紀夫=1968年12月
東京・南馬込の自宅でインタビューに応じる三島由紀夫=1968年12月

 第二次世界大戦が終わりに近づいていた頃、恥ずかしがり屋で、内面の動揺とフラストレーションで煮えたぎっていた早熟な19歳の少年は、「悲劇の誕生」という本を見つけた。それは、絶対に忘れることができない、今までの悩みから解放された、自己啓示の瞬間だった。

 それは独哲学者のニーチェが19世紀に書いた本だった。そこには「ディオニソスの概念」が説明されていた。それは、すべてを包括する原初のエネルギーであり、それからすべてが生まれ、そしてそこへまた戻っていくという考えで、苦痛なほど内気で孤立していた青年にとっては、これ以上ない慰めであり、インスピレーションの源となった。その青年の名前は平岡公威。1941年に16歳で最初の作品を出版した時、彼は三島由紀夫というペンネームを使った。

 戦況が悪くなるにつれて、彼の外面と内面の両方の世界の混乱と狂乱が、アポロン的芸術を創作するのに使われるという概念は、三島の心に超越感をもたらし、それは彼の人生と創作の核心として一生続いた。

この記事は有料記事です。

残り1074文字(全文1506文字)

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集