近江国滋賀郡(こおり)は峻険(しゅんけん)な山と湖を東西に擁し、西の尾根に山城を構えれば、西に続く逢坂(おうさか)越えの往来を監視することも出来る。仮に唐・新羅(しらぎ)軍が難波津から攻め寄せても、都を捨て、北陸道や広大な鳰(にお)の海経由で逃げることも出来るとの葛城(かつらぎ)の言い分は、確かに筋が通っている。それだけに大臣たちはもちろん、大(おお)海人(あまの)王子(みこ)も喉の奥に何かつかえたような顔で口をつぐんだが、収まらぬのは今後の大王(おおきみ)の座の行方にまで気の回らない宮の従僕や厨女(くりやめ)、はたまた飛鳥近辺に暮らす庶人たちである。
「畿外になんて、行けるもんかい。だいたい滋賀って場所は、宮城とお偉方たちのお屋敷を建てるだけで精一杯のせまっ苦しい地というじゃねえか。そうなると俺たちみてえな下働きは、都からうんと離れたところから勤め先に通わなきゃならなくなっちまうぜ」
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