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J1優勝 後発クラブの川崎フロンターレを強くした「大卒選手」の効用

リーグ制覇に王手をかけた横浜マ戦でチーム3点目のゴールを決め、中村憲剛(左)と喜ぶ川崎の小林悠=川崎・等々力陸上競技場で2020年11月18日、宮武祐希撮影

 人気業界に後から参入し、経験者を大量に採用するも、業績不振で有望な若手は入ってこない。サッカー・J1を制した川崎フロンターレは20年前、そんな状態だった。注目選手は18歳で就職先が決まる時代に、他から声がかからない大卒新人が入ってきた。中村憲剛という。その成長と、サッカー界では期待薄とされた大卒が、川崎の強化のキーワードになる。

わずか1年でのJ1陥落が転機に

 富士通サッカー部を前身とし、Jリーグが華やかに開幕した1993年から遅れること4年。97年から本格的にJリーグ入りを目指した後発組の川崎は、リーグ経験者をかき集め、99年にJ2に参戦した。同年に優勝してJ1に昇格。だが、たった1年で降格した。

 当時強化部長だった庄子春男強化本部長(GM)は「お金をかけないで強くする」を方針に掲げた。高校やJリーグクラブの育成部門から即、プロ入りする有望選手は川崎に来てくれない。大型補強に走らず、大卒選手や自前の育成部門出身者を育てることに注力した。「外国人選手は大事だが、頼りすぎるといなくなった時に戦力が大きく落ちる。強さを維持する上でも育成しながらチームになじませていく」と地道に歩むことを選んだ。

大学2部からチームの柱に

 中大時代に関東大学リーグの1、2部をさまよった中村はプロから誘いがなく、練習生を経て2003年、当時J2だった川崎に入った。「拾ってもらった身」と中村は言う。線が細く足も遅い。だが、技術と広い視野があった。同年に入ったブラジル人FWジュニーニョらに高いレベルを要求されながら成長。05年からJ1に舞台を移すと…

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大谷津統一

毎日新聞東京本社運動部。1980年、北海道生まれ。慶応義塾大卒。2003年、毎日新聞社に入社。北海道報道部、社会部さいたま支局を経て、東京本社運動部でプロ野球を担当。13年から中部報道センターで中日ドラゴンズ、陸上競技などを取材し、中日の山本昌投手が毎日新聞に連載したコラム「史上最年長の道」を担当。今は東京本社運動部で、サッカーやラグビーを取材している。

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