「ぞろぞろ、隙間(すきま)のないくらい逃げてきた。男の人か女の人かも分からない。着ているものも皮膚も垂れ下がり。ぞろぞろぞろぞろ。本当に幽霊の行列みたいだった」
75年前の8月6日。6歳だった小谷孝子さん(81=千葉県八千代市)は広島市内の自宅前で見た光景を今もはっきりと覚えている。爆心地から約2・5キロ。姉と兄、弟もけがをし、重傷だった弟は4日後に息を引き取った。母親も6年後に白血病で亡くなった。姉と兄は後遺症に苦しんだが、自身はほぼ無傷だった。
「(無傷の)自分は被爆者とは言えない」。罪悪感から、小谷さんはずっと、被爆体験を封印して生きてきた。初めて語ったのは幼稚園教諭を定年退職した2003年。原爆投下から半世紀以上たっていた。きっかけは姉からかけられた言葉だった。
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