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次代への遺言~私が見た戦争

民間人80万人を含む310万人が犠牲になり、アジア諸国にも甚大な被害を与えた日中戦争、第二次世界大戦の終結から75年。戦後生まれが全体の8割を超え、戦争の実相を知る体験者は減り続けています。壮絶な体験を語り継ぎ、新たな悲劇を防ぎたい。体験者の「次代への遺言」を映像で記録します。

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次代への遺言~私が見た戦争

/3 小谷孝子さん(81)「無傷」が罪悪感に 「あっちゃん」と伝え続ける被爆体験

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 「ぞろぞろ、隙間(すきま)のないくらい逃げてきた。男の人か女の人かも分からない。着ているものも皮膚も垂れ下がり。ぞろぞろぞろぞろ。本当に幽霊の行列みたいだった」

 75年前の8月6日。6歳だった小谷孝子さん(81=千葉県八千代市)は広島市内の自宅前で見た光景を今もはっきりと覚えている。爆心地から約2・5キロ。姉と兄、弟もけがをし、重傷だった弟は4日後に息を引き取った。母親も6年後に白血病で亡くなった。姉と兄は後遺症に苦しんだが、自身はほぼ無傷だった。

 「(無傷の)自分は被爆者とは言えない」。罪悪感から、小谷さんはずっと、被爆体験を封印して生きてきた。初めて語ったのは幼稚園教諭を定年退職した2003年。原爆投下から半世紀以上たっていた。きっかけは姉からかけられた言葉だった。

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