沖縄生まれと胸を張ろう 終戦後、引き揚げ児教育に尽力 遺骨が福岡から里帰り

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亀谷長栄さん=椎葉栄子さん提供
亀谷長栄さん=椎葉栄子さん提供

 戦後間もない福岡県春日村(現春日市)に、中国大陸などから引き揚げた沖縄出身者が集団で暮らした寮があった。沖縄は当時、米軍との苛烈を極める地上戦の末に焦土と化し、米国の統治下となっていた。古里に帰れなかった出身者は少なくなく、寮は互いが身を寄せて戦後を生き抜いた場所だった。当時は沖縄の人へのいわれない差別もあった。「誇りを持とう」。寮内で子供たちの教育に尽力し、後に市長を務めた男性がいた。

 男性は沖縄県玉城村(現南城市)出身の亀谷長栄(かめやちょうえい)さん(1999年に85歳で死去)。沖縄県師範学校を卒業後、地元で教師として働いたが、39年に旧満州(現中国東北部)に移り、現地の小学校で教壇に立った。25歳だった。敗戦に伴い、長崎県佐世保市に引き揚げた。家族とともにたどり着いたのが春日村で、沖縄出身者が集っていた「欽修寮」だ。

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