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「吹田の戦争遺跡をめぐる」発行記念 歴史学び、当事者性持って 執筆者・塚崎さん講師に学習会 /大阪

「吹田の戦争遺跡をめぐる」完成学習会で講演する塚崎昌之さん=吹田市山田西4の夢つながり未来館で2020年10月25日午後2時51分、亀田早苗撮影

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 大阪府吹田市の市民団体「世代をこえて考える戦争と平和展実行委員会」は小冊子「吹田の戦争遺跡をめぐる」を発行した。その完成を記念する学習会が、同市内で執筆者の塚崎昌之さんを講師に迎えて開かれた。

 「吹田の戦争遺跡をめぐる」は、吹田市制80周年の市民提案事業として発行。市立平和祈念資料館(同市津雲台1)の前身、平和祈念資料室が出していた通信の連載(1994~2008年)を基に、現在の写真なども入れてまとめた。市内の学校に配布する予定。

 現在は関西大、立命館大で非常勤講師を務める塚崎さんは、府立山田高校の教師だった1993年、朝鮮文化研究会の生徒が「海軍山田地下弾薬庫」を調査し、文化祭で発表したのが地元の戦跡研究のきっかけだったと話した。弾薬庫があった場所には現在、パナソニックスタジアム吹田(同市千里万博公園)がある。

 塚崎さんは、吹田に多くの軍事施設がある理由について、戦前・戦中の大阪がどんな都市だったかから解説。大阪には東洋最大の兵器工場「大阪砲兵工廠(こうしょう)」があり、36年、軍拡が始まって軍需景気のため大阪市内の工場が手狭になった。東洋一といわれた吹田操車場は29年に城東貨物線(現おおさか東線)で砲兵工廠と結ばれていた。大砲や戦車は吹田操車場から各地の陸軍部隊へ。また中国戦線に出兵する兵士たちも吹田操車場から大阪市内の築港へ向かった。

 戦況が悪化すると軍事工場の疎開や、軍の地下貯蔵庫が造られた。朝鮮人労働者が劣悪な環境で働かされたという。

 塚崎さんは、生徒の家族にも戦争体験者が減った90年代、授業で広島や長崎、沖縄、中国・南京の話をしても「当時生まれてなくてよかった」といった反応が多くなったと話し、「戦争が起これば無関係ではいられない。歴史を勉強して、当事者性を持ってもらいたい」と述べた。

 小冊子は戦時中に吹田市内でもケシが栽培されて軍事利用されたなど、意外な事実も紹介。A4判50ページ。300円で販売も。問い合わせは同実行委(090・3714・7324)。【亀田早苗】

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