「今はどんな顔に…」 息子を失った両親の憤り 笹子トンネル事故8年

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
笹子トンネル事故で亡くなった森重之さんの墓の前で手を合わせる父和之さん(左)と母美世さん=東京都文京区で2020年11月27日午後0時53分、金子昇太撮影
笹子トンネル事故で亡くなった森重之さんの墓の前で手を合わせる父和之さん(左)と母美世さん=東京都文京区で2020年11月27日午後0時53分、金子昇太撮影

 中央自動車道笹子(ささご)トンネル(山梨県大月市)で2012年、天井板が崩落した事故は12月2日、発生から8年となる。9人もの命が失われた責任の所在を調べる捜査は今春、誰の刑事責任も問われないまま終結した。今も悲しみの中にある遺族は、割り切れない思いを抱いたまま命日を迎える。

父が帰国する日に訪れた悲報

 27日、東京都文京区の寺院。事故で犠牲になった会社員、森重之さん(当時27歳)の父和之さん(69)=茨城県=と母美世さん(67)=同=の姿があった。2人は毎年12月の追悼慰霊式の前と月命日に、長男である重之さんの墓があるこの寺院を必ず訪れている。この日、墓前で手を合わせた美世さんは「写真の中の重之はそのままで、私たちは月日の流れとともに老いていく。(年を重ねた)重之の顔はどうなっていたんだろうと考える時がある」とつぶやいた。

 ずっと親元で暮らしていた重之さんが実家を出たのは12年2月のことだ。都内のシェアハウスで同世代の若者らと住み始めた。事故が起きたのは、その10カ月後。シェアハウスの仲間たちと山梨県を旅行した帰り道だった。

 美世さんは当初、…

この記事は有料記事です。

残り1556文字(全文2035文字)

あわせて読みたい

ニュース特集