「大阪都構想」とは何だったのか 市民の分断招いた住民投票 辻陽・近畿大教授に聞く
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今月1日の、大阪市を廃止して4特別区を設置する「大阪都構想」の住民投票は、反対が賛成を約1万7000票差で上回った。5年前と今回の2回とも否決されたが、大阪維新の会の松井一郎大阪市長らは、今度は、広域行政を市と大阪府で一元化する仕組みなどを検討している。そもそも、この構想はなぜ生まれたのか? 政令市と周辺自治体、首長と議会などのどんな関係が反映しているのか? 大阪の政治事情に精通する辻陽近畿大教授(地方自治論)は「大阪都構想のみならず、都市制度の改革は容易でないことを改めて印象づけた」と分析する。【聞き手、鈴木英生】
――都構想は、元々、大阪維新の会を作った橋下徹氏が、大阪府知事在任中の2010年に提起したものですよね。
ただし、似た構想は、太田房江府知事、磯村隆文市長時代の00年代前半にもあった。道府県と政令市の権限関係の難しさは普遍的なものだ。神奈川県や福岡県でも、県と政令市の関係は行政内で議論されていた。橋下氏は、初めて構想を具体的に動かそうとしたとは言える。当初は、大阪市だけでなく周辺の自治体も巻き込んで20の特別区に再編する構想を浮上させた。背景には、橋下氏と当時の平松邦夫大阪市長との関係悪化に加えて、そもそも、府全体に占める大阪市の割合が必ずしも大きくないこともあった。府の人口が約880万人で、同市は約270万人。当時の府議会の定数109人中76人が同市以外選出の議員だ。大阪市外からすれば、同市独自の施策は府全体の発展とのバランスから見て、必ずしも最適ではない。大阪市を解体して、都市政策を府に一元化することで、経済的果実を府全体に配分してほしいという気持ちも潜在的にある。
――20特別区の構想は、なぜ頓挫したのでしょう?
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